児童書評価のページ

新刊・古典とりまぜて児童書を評価します

ヘンリー・ブラウンの誕生日

 

ヘンリー・ブラウンの誕生日

ヘンリー・ブラウンの誕生日

 

 奴隷として生まれたヘンリーは、母親から離され主人の息子の所有物となる。他の家の奴隷のナンシーに心惹かれ、幸い両方の主人の許しを得て結婚するが、ナンシーの主人の家が傾き、ナンシーと二人の娘は売りに出され、引き裂かれてしまう。ヘンリーはなんとしても自由になろうと決意し、協力者の助けを得て、箱に入り荷物として自由州に送り出してもらう。自由になった日が、誕生日を知らない彼の誕生日となった。歴史の実際の事件を絵本にした作品。

テオの「ありがとう」ノート

 

テオの「ありがとう」ノート

テオの「ありがとう」ノート

 

 テオは体のマヒがあり、両足と左手が不自由で電動車いすに乗って施設で暮らしている。何をするにも施設の人の助けを借りなければいけないから、一日中「ありがとう」を言い続けている。ある日、ふとそんな毎日が嫌になった。だが、テオが「ありがとう」をいうのをやめると「感じが悪いよ」と注意され、なぜか運動をすることになってしまった。ところが運動を指導するパトリスは「着替えてこい」という。テオは自分で着替えられないのに。でも、悔しくてたまらなかったテオは、懸命に片手だけで着替えにチャレンジすると、なんとかできたじゃないか! 「ありがとう」というのを減らすため、テオは自分でできそうなことは自分でチャレンジし始めた。そして、意外と卓球がおもしろいのにもハマッテいった。だが、ちょっと自信がついた直後、一人で散歩にでかけ、車いすを降りたのはいいけど、自分ではどうしても乗れないという事実に気づく。自信と失望の中で、自分のできることをみつけ、小さい子の面倒を見て「ありがとう」と言われる立場にもなる。そして弟にとってお兄ちゃんとしてふるまいたい、特にお父さんに誇りに思ってほしいと願う。自分から積極的に生きたいという願いは切実。最後、自分と同じ思いに悩む年下の子の相談に乗るテオの成長に拍手です。

きつねのかみさま

 

きつねのかみさま (絵本・いつでもいっしょ)

きつねのかみさま (絵本・いつでもいっしょ)

 

 りこは、こうえんに縄跳びのなわを忘れて取りに行く、ところが、なわは、置いたはずの木の枝には見つからない。そして楽しそうな声がするほうに行くとキツネが縄跳びで遊んでいる。りこと弟も一緒に楽しく遊び、帰りになわを返してもらおうかと思うと、キツネの子が、この縄は、きつねの神様にお願いしたら、神様が木にかけてくれた縄だといい、自分の名前が書いてあるという。聞くときつねも「りこ」という名前だという。りこは、きつねに自分の縄をあげることにするが、弟はそれならおねえちゃんは「きつねのかみさま」だという。なんということはないが「きつねのかみさま」という言いようが面白い。

僕は上手にしゃべれない

 

僕は上手にしゃべれない (teens’ best selections)

僕は上手にしゃべれない (teens’ best selections)

 

 気になる雰囲気のタイトルだが、読んでがっかり。吃音の悩みを抱えた主人公悠太が主人公。思うように言葉がでないつらさ、そのために人と交われない切実さは伝わってこないことはない、実際に著者が吃音で悩んでいたという。だが、実際に吃音の著者が吃音の主人公を描いた『ペーパーボーイ』と比べると、リアリティが薄い。『ペーパーボーイ』で、言いやすい音に、懸命に言い換えたり、少しで言いやすくしようと長音でいったりとディティールが描かれていて、必死さが一層つたわってきた。この作品にもそういう個所はあるが、断片的で、『ペーパーボーイ』の予備知識がなかったらわかりにくかったと思う。また、謎のとっつきにくい同級生の美少女古部さん、(この後ネタバレ)最後に過去に吃音で苦しみ、親にもクラスメートにもいじめられたから、悠太だけに執着したとわかるが、みんながうらやましがる美女設定。これ、美女じゃないといけないわけ? また、おねえちゃんが「がんばれ」を繰り返し、弟のために部で浮いたり「だめなら私が悠太を養ってあげる。」というけど、これもアリか?『ワンダー』の弟を大切に思いつつも、時に重荷に感じる姉のほうが、リアルで思いやり深く感じる。実際には、こういう思いやり深いお姉さんがいるのかもしれないけど、別世界の住人みたいで、少なくとも私は共感できない。小さいころからそれなりに友人がいたり、お姉ちゃんもたまには不満もらしたりという、ごく普通の生活をベースにして主人公の悩みを描いて欲しかった。リアリティをかんじなかったけど、まさか、これ自伝しゃないですよね?

ドームがたり

 

ドームがたり (未来への記憶)
 

 原爆ドームが主人公。広島県物産陳列館として建てられたが、原爆によって破壊されたことを淡々と語る。放射能を細かいカケラとしてイメージすることは、子どもにはわかりやすそう。だが、その放射能が広島でどうなったががの書き方があいまいなので、そのあとの原子力発電所などへの批判が弱いように見える。

天の川のラーメン屋

 

 ヤキブタを買いに行ったシンくんは、帰りに不思議なおじいさんから呼び止められる。ヤキブタを譲ってくれたら宝物をくれるというのだ。いやだと振り切って帰ってきたのに、家についたらヤキブタはなく、エンドウ豆が! しかたなくそれをまくと、ジャックとまめの木みたいに大きくなって、あのおじいさんがおいしい天の川のラーメンを作ってくれた。というお話。可もなく不可もなくかな~

モンスーンの贈りもの

 

モンスーンの贈りもの (鈴木出版の児童文学 この地球を生きる子どもたち)

モンスーンの贈りもの (鈴木出版の児童文学 この地球を生きる子どもたち)

 

ジャスミンことジャズのママは、インドからアメリカの今の両親のもとに養女にきた。養父母に大切に育てられたママは、いつでもほかの人に手を差し伸べる活動をしている。この夏は、自分が育ったインドの孤児院に、一家をあげてボランティアに行く。ジャズは幼馴染のスティーブと別れて過ごすのがつらい。ずっと親友だったけど、最近は別の感情がこみあげている。でも、スティーンはみんながねらうカッコイイ男の子になっちゃった。砲丸投げの選手で、大柄でガッチリした自分は、とても女の子としてみてもらえない。ママのまねをしてホームレスの援助をしようとして失敗した経験もつらい。インドはモンスーンの季節。雨で生き生きする台地。ボランティアなんかしたことないパパまで孤児院のパソコン利用に協力。弟も孤児院のサッカーチームに参加。ジャスミンは、ボランティアをしたくないから行った学校でできた友達にスティーブが彼氏と勘違いされちょっとうれしい。家のお手伝いにきてくれた孤児のダニタは、妹と3人で生きるのを目標にし、15歳なのに、倍の年の男性が、3人まとめてひきとるという申し出を受けて結婚しようかと悩んでいる。自活するには、仕事がいる。ダニタを助けるため、ジャズは自分のビジネス経験から援助しようと決意する。インドでは、まさかのモテるタイプの女の子と知り、ちょっと自信がつくジャズ。そして、そうだろうなぁ~と予想通りの、実は両想いだと気付く展開。「リキシャガール」と同じ作者で、甘さはあるけど、読み慣れていない子でも読めそうな感じはよい。