児童書評価のページ

新刊・古典とりまぜて児童書を評価します

ナム・フォンの風

 

ナム・フォンの風 (あかね・ブックライブラリー)

ナム・フォンの風 (あかね・ブックライブラリー)

 

ナム・フォンはベトナム人の女の子だが、学校で誰とも話さないし遊ばない。家に帰ると時にはおばさんのお店チュー・ミンのお手伝いをする。でも、おばさんって呼んでるけど本当のおばさんじゃない。学校のリリー先生は大好きだけど、病気になってしまった。不安や寂しさを抱えた毎日の描写の中で、徐々にナム・フォンの過去がわかっていく。祖国で危険を感じ祖父と共にボートピープルになったけれどもその過酷な経験の中で祖父まで失ってしまったことがわかる。リリー先生が無事に回復し、祖父の死の事実を受入れて激しく泣くことで言葉を取り戻し、クラスになじんでいく主人公の姿はとてもうれしい。自分と同年齢で過酷な経験をする子がいる事実を、物語を追いながら素直に知ることができる。 

盆まねき

 

 

盆まねき

盆まねき

 

なっちゃんのママの実家は笛吹山という町から離れた田舎です。毎年、お盆にはみんなで集まりますが、ひいおばあちゃんまでいる家には、いろんな親戚の人が来て、なっちゃんには誰が誰だかわからなくなるくらいです。いつも本当だかホラだかわからないことをいうおじいちゃんが話してくれた、子どものころ飼っていた賢いナメクジナメタロウの話、大好きなフミおばちゃんが子どものころに見たという月の田んぼで稲刈りをしていたウサギの話、そしておおばあちゃんが、子どものころに拾ったかっぱの不思議な玉の話。みんなは、いろいろなお話をなっちゃんにしてくれます。そして8月15日の盆踊りの夜、なっちゃんは初めて会う、だけれどどこか見たことがある男の子に出会うのですが・・・・。最後に「もうひとつの物語」として、実際に特攻隊で亡くなった叔父の物語が収められている。お盆という時期に、死を思うことができるという風習の大切さ、本来なら死ななくてよい人間が死ななければならない戦争の理不尽さが、子どもに素直に伝わる言葉で語られている。 

子どもたちの戦争

 

子どもたちの戦争

子どもたちの戦争

 

 イスラエルレバノン侵攻、中米エルサルバドルの内戦、アフリカのモザンビークでの子ども兵士、ボスニア・ヘルツェゴビナの内戦、そして最後はアメリカのワシントンDCで黒人が住むスラムでの銃とドラッグ問題。いずれも大戦とよばれるような大掛かりな戦争ではないが、だからこそ忘れられがちな大きな悲劇を扱っている。平和で豊かな日常がいきなり奪われる。子ども自身が、親を殺さなければ自分が殺される状況の中で洗脳され兵士となる、仲良く暮らしていた隣人が、いきなり自分を殺す敵になり、平和なはずの国の中で進行する絶望。読んでいて感じるのは、このような殺戮はなぜ起きて、なぜ止められないのだろうか?ということだった。この中で、一度兵士となった若者が(あるいは銃を持ったスラムの若者が)中によってみんなから恐れられ、常に優位に立つ快感から戦後抜け出せないことが描かれていた。尊重されない、希望がないという中で、他者を痛めつけることでしかプライドが保てないのは、今の日本のヘイトスピーチやアキバ事件などと通じるものかもしれない。これを読んで、戦争は恐ろしく、してはいけないこと。というような通り一遍な感想から一歩踏み出して、自分がこの中の一人だったらどう感じるか? また兵士は何を感じて殺戮するのか? を考える中で解決の方法を見つけていきたい。それにしても、アメリカの事例の中で荒んだ環境の中でも懸命に高校をちゃんと卒業して、学校のチアリーダーや行事をがんばったのに父親が母親を殺し、親戚の家にいて未来への展望がない少女の「いい子にしていても、なんにも、いいことなんてなかったのよ」という発言は、今の日本の子どもたちの現状にも通じるようで1997の発売当時より、今の中高生の方が共感を持ちそうに思う。

バンヤンの木 ぼくと父さんの嘘

 

バンヤンの木 ぼくと父さんの嘘

バンヤンの木 ぼくと父さんの嘘

 

 大好きな父は癌で寝たきりで、もう意識もしばしばもうろうとしている。それだけでもビラルにとっては大変なのに、街がおかしい。ずっとみんなで仲良くやってきたのに、イスラム教徒とヒンドゥー教徒の間が対立してピリピリしている。兄さんのラフィークまで父さんと喧嘩して戦うんだと言って出ていった。ピラルの望みはただ一つ。父さんの最後の日々を穏やかにすること。祖国インドがまもなくインドとパキスタンに引き裂かれることを知らせないことだ。友人たちの協力を得て、ビラルはやりとげようとする。だが、対立は日に日に激化する。もう何年も薬を届けてきた医者のドクトルジーと共にいつものように村にいくと、スパイとして外部から来た男にとらえられてしまう。二人を助けてくれたのは、いつも本をビラルが本を読んであげていた小さな女の子。ついに来たインド独立の日は、父の臨終の日となった。街では宗教対立の暴動が起こり火が放たれる。穏やかだった街の日常の崩壊が、父の死という個人的な日常の崩壊と重ねられるようにして進んでいく。だが、ビラルに手を差し伸べてくれる友達や学校の先生、医師、そして兄も自分なりの正義を信じながら助けようとしてくれる。作者はパキスタン人の母とインド人の父間に英国で生まれた。この本の救いは最後に60年後が語られること。今なお、インドとパキスタンの間の問題は無くなっていないとしても、対立を超えたいという願いもまた続いているといえるだろう。

縞模様のパジャマの少年

 

 
縞模様のパジャマの少年

縞模様のパジャマの少年

 

 ベルリンで素敵な大きな家に暮らし、親友だっていたのに、軍人の父さんがソートーカッカから特別な仕事を命じられたために引っ越しをしなければならなくなった9歳のブルーノ。着いたところは小さな家で出入りするのは軍人ばかり。12歳の姉さんグレーテルは、自分は自分は大人なのにブルーノは子どもだと言ってバカにして相手にしてくれない。ブルーノは寂しくて仕方がなかった。ブルーノの部屋からは鉄条網に囲まれた広い場所が見えて、そこには大勢の縞模様パジャマを着た人が住んでいるが、父さんは決して近づいちゃいけないという。シューヨウジョというらしいけど、姉さんもブルーノも、そこがどういうとこだかよくわからない。ある日、遊び相手がいない寂しさに鉄条網をたどって探検していたブルーノは、鉄条網の向こう側にちょうど同じ年くらいの男の子を見つける。その子シュムエルはとても悲しそうだったけど誕生日が同じだったので、ブルーノはうれしくなった。それから、誰にも知られないようにブルーノはこっそりシュムエルに会いに行った。食べ物を持っていくと夢中で食べたけど、ブルーノは持っていく途中でおなかがすいて自分で食べてしまうこともあった。かつてのベルリンでの生活と、ここの生活の奇妙さがブルーノの視点で描かれる。豊かな生活の中で大切にされるのが当然、他の人だってそういう生活をしていると素朴に感じているブルーノの視点が、一層シューヨウジョの異常さを浮き立たせる。ラストは、読者全てに「自分の」物語として読んで欲しいと強く訴えている。

おまもり ホロコーストを生き抜いたある家族の物語

 

おまもり―ホロコーストを生きぬいたある家族の物語

おまもり―ホロコーストを生きぬいたある家族の物語

 

ドイツの小さな町で穏やかに暮らしていたマリオンの家族は、ナチスドイツの台頭の中でユダヤ人であることに身の危険を感じる。まずアメリカに渡ることを計画し、オランダにたどりついて難民として受け入れられ、アメリカに向かう船を待つ。しかし、乗船前にナチスはオランダも支配下に治めた。一家はドイツの捕虜交換の要員としてイスラエルに渡ることを願いベルゲン=ベンゼン収容所に向かうが、連合軍到着の直前にチフスが蔓延する死の列車に乗せられる。約2週間後にやっとソ連軍によって助けられる。子どもだったマリオンの視点から語られる体験記。家族4人は終戦まで生き延びたのに、間もなく父親がチフスに感染して死亡。最終的には渡航費をすでに払っていたことと親戚がいたおかげでアメリカに渡り、そこで生活できるようになる。なんとか、脱出しようとする試みがなかなかうまくいかないようす。にもかかわらず、楽しみを見つけようとする頑固なマリオン、やさしい兄アルバートなど家族のようすが生き生きと語られる。いつも思うのは、ユダヤ人がこれほど過酷な状況にいたのに、それがとおってしまったという恐ろしさだが、とりあえず日常に振り回されている私も、今、不条理に直面している世界の中の人々に目をむけていないのではないか?だとすればどうすれば良いのか? と問われている気がする。 

ルワンダの祈り 内戦をいきのびた家族の物語

 

ルワンダの祈り―内戦を生きのびた家族の物語

ルワンダの祈り―内戦を生きのびた家族の物語

 

 1994年わずか3か月で80万人が殺されたジェノサイド(大量虐殺)が起こったルワンダ。少数のツチ族が多数のフツ族を治める構図が、独立によって多数はフツ族の勢力が増して対立が激化、その中でツチ族が殺されたのだ。1996年に取材に行った著者は、到着直後子ども兵士(写真があるが、どう見ても10歳前後の子ども!)に殺されかけるが、なんとか解放されすぐに帰国する。その後10年以上を経て再度いったルワンダは、空港こそ整備されていたが、大量の寡婦や孤児をかかえ、大きな傷が残っていた。生き残った女性の支援施設で、家族を殺され、自分もレイプされさらに意図的にエイズに感染させられた女性たちの痛ましさをしる。著者は、夫と子どもの一人を殺されたが生き延びて今は国会議員となっているアルフォンシンさんの体験を取材する。助けてくれたフツ族の友人もいたが、今も近所にいるフツ族の隣人が夫や子どもの殺害に手を貸し、自分の家の家財道具を持ちだして今でも平然と暮らしていることへの激しい怒り。指摘するとあやまっても、自主的にはあやまらなかったことへの絶望は、想像してあまりある。こんなことがあったのはアフリカだから? そうだろうか? ナチスドイツ下のドイツでも連行されたユダヤ人の家に、たちまち近所の人が群がって略奪する様子を描いた『そこに僕らは居合わせた』のように、さしたる罪悪感もなしに(政府がしていると言い訳し、みんながやっているんだからと正当化する)ことは多いのではないだろうか? 私自身も例外ではないのではないか? という恐怖を感じる。ジェノサイドを他人事ではなく、いつ、どこに起こってもおかしくない事件としてとらえ、どうしたらそういうことが起こらないかを考えたいと思う。