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イタリアののぞきめがね

 

イタリアののぞきめがね (ファージョン作品集 2)

イタリアののぞきめがね (ファージョン作品集 2)

 

 

ファージョンの短編集。

イタリアの友人を訪ねた「わたし」が、訪問先で見聞きし、感じたことと、そこからインスパイアされて浮かんできた物語とが、交互に連ねられている。「わたし」の立場は、教え子を訪ねる家庭教師あるいはばあやのようでもあるけれど、ここではおそらく、子どもをもった友人を訪ね、そこの家の子どもたちにお話しをしてあげているのだろう。

「わたし」のパートと、「私が語る物語」のパートは交互に章立てされているが、「わたし」のパートも、話の枠であるだけでなく、独立したエピソードとなっている。こちらはリアリズムなので、一種の生活スケッチのように見え、一方、「物語」パートは、ファージョン一流の、ファンタジーだ。楽しいものがほとんどだが、「ロザウラの誕生日」のように、読後ひやりとさせられる、思いのほかブラックなものもある。

シエナの町一番の美少女ロザウラは、求婚者をはねのけ若さを満喫しようとする。来る日も来る日も歌い踊る日々、一人の牛乳屋に出会う。「仕事?仕事ってなあに?」「仕事ってものは、人間が、もう若くなくなったとき、若くしておいてくれるものでさあ。もっとも、年もとらないのに、年よりにしてしまうこともあるがね」これを聞いてロザウラは、求婚者を巡り、「仕事」を体験させてくれるように頼むが、結局幻滅しか得られない。はたちの誕生日、若き恋人ロザリンドと踊り明かしたロザウラに、牛乳屋は、「いつまでも、いつまでも、いまのままでいられる」という牛乳を飲ませる。飲んだ人はみな、永久に変わらぬ針金人形になったのだ。