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ピーティ

 

ピーティ (鈴木出版の海外児童文学―この地球を生きる子どもたち)

ピーティ (鈴木出版の海外児童文学―この地球を生きる子どもたち)

 

生まれつき障がいのあるピーティは、体も歪み、知能もないとされていた。両親は、懸命になんとかしようとするが、力尽き、お金もつきて、ついにピーティを施設にあずける。だが、当時の施設はただの収容所のような場所で、機械的におざなりの世話をされるだけだった。だが、移民の看護師がピーティに理解力ことがあることに気づき、イエス・ノーの表現を教えるが、まわりはただのけいれんとしか見てくれない。成人施設に移されたピーティは精神病の患者との暮らしの中で、初めてカルビンという年齢の近い友人に巡り合う。二人は心を通わせるが、ピーティに知性があることは、まわりに理解されない。二人に理解を示してくれた看護師もいるが、病気や家族の転勤、定年などで、長くはとどまれなかった。その後、制度が変わり、ピーティはカルビンと離され、グループホームに移された。少年トレバーは偶然ピーティと出会い、最初は気持ち悪く思っていたのに、徐々に彼の穏やかな性格に魅せられる。ピーティと外出し、新しい車いすを手に入れるため奔走し、カルビンとの再会も実現させるが、高齢のピーティは病気で倒れた。高齢で障がいのある人間など手術しても意味がないとする医師に対し、クレバーは激怒し、手術は実現するがピーティは元気にはなれない。クレバーの両親は、自分たちがよい生活を追っているなかで息子の心が離れていったことに気づき和解する。みんなを幸せにしてピーティは去っていく。という感動作、というところだが、なんともひっかかりを感じる。実際の時代背景を踏まえて、障がいのある人間への扱いを描いたようだが、あんなにピーティを大切にしてた両親は、施設にいれたらとたんにピーティと縁をきっちゃったのはなぜ? ピーティは心優しいけど、あんな過酷な中ではカルビンのようにおかしくなってもふつう。天使のような性格じゃなかったら、ピーティは見捨てられてもいいの? 精神障がいの患者と一緒になる場面では、その患者たちは恐怖の存在のように描かれているけど(ピーティにとってはそうだけど)、それでいいの? クレバーは車いすの募金が足りないと、会社にピーティは特別なんだから安くしろと迫るが、他の障がい者はどうでもいいの? 

実際の差別のようす、その中で、初めて外気に触れた喜びやスーパーに行った興奮など、障がいのある方に共感を感じられる場面はあるが、ピーティーにも、もっと嫌な感情を持たせてあげないと気の毒!