児童書評価のページ

新刊・古典とりまぜて児童書を評価します

詩人になりたいわたしX

 

 2019年カーネギー賞、2018年全米図書賞等受賞作。ドミニカ出身の両親を持ち、ハーレムで暮らすシオラマは高校に入ったばかり。シオラマとは「いつでも戦える人」という意味だ。名前の通り気が強く、やさしい双子の兄ツインことエグゼィアがいじめられると戦ったのはシオラマだ。自分で臨んだわけじゃないのにDカップのダイナマイトボディに育ってしまい、男性からいやらしい目でみられるのがイヤでたまらない。信仰深いマミは警戒して、教会に通い、男の子と付き合うなとうるさい。でも、最近神様は信じられないし、生物で隣の席になったアマーンに磁石みたいに引き付けられてしまう。男の子に触れてみたくてたまらない。詩のガリアーノ先生のクラスにも魅了され、詩のクラブにも誘われるが、教会の堅信礼のクラスと重なっていて行けない。ツインにもらったノートに抑えきれない思いを詩にしてひたすら書き付けている。マミの目をかいくぐり、アマーンと公園デート、堅信礼クラスをさぼって詩のクラブへ。だがついにマミに知られてしまった。激怒したマミは、詩のノートに火をつける。気性の激しいシオラマとマミは、ある意味似た者同士。思春期の嵐の中で自立したい思いと、どこかで守られてもいたい思い。そして何よりも自分を認めてもらいたいシオラマ。読んでいて連想したのは『ビリージョーの大地』あれも過酷な話しでした! 長編詩の形で描かれているこうした作品。日本にはあまりないけどおもしろいですね。

ぼくはおじいちゃんと戦争した

 

ぼくはおじいちゃんと戦争した

ぼくはおじいちゃんと戦争した

 

フロリダに住んでいたおじいちゃんが家に来ることになった。おばあちゃんが死んでしまって元気がなくなったと両親が心配したのだ。ピーターも妹のジェニーもおじいちゃんが大好きだ。だけど我慢できないことが一つ! ピーターの部屋をおじいちゃんにあげて、ピーターは3階の部屋に移らなければいけない。おじいちゃんは足が悪いから3階の部屋が無理だってわかるけど、大好きなこの部屋を明け渡すなんていやなのに、子どもは親には逆らえない。やってきたおじいちゃんはすっかり元気を無くしてぼんやりしている。でも、ピーターはおじいちゃんに戦線布告した。自分の部屋を返してもらうために戦うことにしたんだ。だけど、いろんな物を隠す作戦は、おじいちゃんが一枚上手! そしておじいちゃんと楽しく釣りもした。でも、やはり部屋のことはあきらめきれない・・・。一方的に部屋を取り上げられて納得がいかないとこだわるピーター。日本のお話しだったらこういう展開ないよな、と思ったが、このこだわりがおもしろい。そして思いがけない結末に。一所懸命に考えれば、思いがけない展開だって生まれるかも。こだわってがんばるのも大切です。 

あたしのおばあちゃんは、プタ

 

 演劇公演のため飛び回る両親からおばあちゃんにあずけられたカトリアオーナこと通称キャット。あずけられた当初、反抗して「おばあちゃんはブタ」と書いたつもりで「おばちんわプタ」と書いてドアに貼った。それを見たおばあちゃんは大笑い、そして二人は仲良くなった。引退した精神病医だけど、昔の患者さんは、今でも何人かおばあちゃんのところにやってくる。革ジャンを来てバイク(しかもどでかいハーレー)をぶっ飛ばすおばあちゃん。おばあちゃんとの暮らしは満足なんだけど、学校でいじめっこウィリーに目をつけられたことがきっかけで、校長はキャットに問題があり、しかも原因はおばあちゃんだと疑う。おまけにテレビ界で成功した両親が家を買い「かわいい娘と暮らしたい」と言い出した。でも、今さら両親のところに行っても、ママは私のことを何も知らないし、知ろうとしているようにも見えない。でも、このままじゃおばあちゃんと別れなきゃならなくなる。そんなの絶対嫌だ! 私はママのペットにもつごうのいいお手伝いさんにもなる気はない。私のママは、おばあちゃんの娘。だからおばあちゃんもママと争う気はないという。親友のロージーは、こういう時は弁護士に頼むものだというから、やってやることにした! 祖母と孫の交流という主題はよくあるといえるけど、ちょっと一味違うおばあちゃん。同時に自分の娘のことや自分の老いも自覚しているという本当の意味での大人としてのおばあちゃんの姿がいい。譲れないことがあったら、キャットみたいに行動を起こさないとね。

エイドリアンはぜったいウソをついている

 エイプリルフールにちなんで、嘘がテーマの本を!

エイドリアンはぜったいウソをついている
 

 エイドリアンはぼんやりした男の子、そして「うちには馬がいるんだよ」という。みんなふぅん、と流しているけれど私は気になる。こんな街中に馬なんているはずない! 馬を飼うにはお金がとてもいるのに、エイドリアンは絶対にお金持ちじゃない。いつものように馬の話をするエイドリアンにあたしはつい「ウソだよ」と言っちゃった。家でそれを言ったらママはいつもと違う犬の散歩コースでを行く。そしたらエイドリアンの家があった。とても小さくてもちろん馬なんていない。でも、なんだかそれを言えない。エイドリアンが投げてくれたボールを返し「馬は遠くにいるんでしょ」と言いながら、馬がエイドリアンの心の中にいるのだ、と気づくという物語。絵本だが、ページ数があるので、よみきかせは大変そう。子どもの気持ちでは、嘘はいけないというのは大きいのでエイドリアンの言うことに反感を持つ女の子の気持ちがよくわかると思う。そしてエイドリアンに向かって「うそつき」というこの子は、ひょっとすると「ふぅん」と聞き流している子より、エイドリアンに向かい合っているのかも、とも思う。エイドリアンの心の中の馬を認めたこの心の動きが、貧乏でかわいそうだから同情したのではなく、本当にエイドリアンの豊かな想像力に共感したのだとまでは描写しきれてないような気がするのが残念。 

デジタルで読む脳 X 紙の本で読む脳

 

私が勤め先で目にしている高校生の実態に答えをくれるような言葉が随所にあり、とても興味深く読みました。
著者の専門は、認知神経科学発達心理学ディスレクシア研究。現代のデジタル社会に生きる子どもたちには、バイリテラシー脳が必要といいます。つまり、情報から情報へ次々と渡って速く処理する能力と、紙媒体による深い読みの両方のこと。

本を読むのはいいよと子どもに伝えたい身としては、深い読みのスキルは「デジタル文化の弊害への重要な対抗手段」となり「デジタルのプラス効果も補完」するという論に勇気づけられる。ただ、そのスキルは10歳までに身につけないとならない。
2歳までの読み聞かせ、2歳から5歳までの物語で文字を読む脳を準備し、5歳から10歳までに深い読みが完成する。このような思考モードが備わらないと「自分のすでに知っている範囲の外には出ない」「現代の若者は自分が何を知らないか知ろうとしません」という指摘。まさにそう。でもあきらめたくはない。
イタロ・カルヴィーノやフランシスコ教皇の言葉の引用などにも力をもらえます。(は)

防災にも役立つ!川のしくみ

 

「学校では習わない科学の知識が身につく」とうたう雑誌を冠するシリーズで非常に専門的な内容。「防災に役立つ!」というところに私たちができる対策を期待しましたが、スーパー堤防や地下放水路、ダムといった大型な建造物による整備面の解説が主でした。また、3つのねらい「上流から下流へ旅するように川を総合的に学ぶ」「川の災害のしくみと対策を学ぶ」「森、川、海のつながりを理解する」をしめしていますが、章立てやさくいんがなく、多用する俯瞰写真もわかりづらいのが残念です。川の全体像といったらやはり、加古里子さんの『かわ』!と思ってしまいます。 (は)

オンネリとアンネリのふゆ

 

薔薇横丁のすてきなおうちに住む女の子、オンネリとアンネリのお話2巻目。
まもなく銀世界に包まれる11月。2人の家にプティッチャネン族の一家ショーララ氏たちがおとずれます。誰かにつけられているというので、人形の家にかくまってあげることに。お隣のプクティーナさんが持ってきたたまごの中のキャンディーをなめるとオンネリちゃんたちの体が小さくなって、一緒に楽しいクリスマスパーティーを過ごします。ところがある日、アンネリの家でお手伝いをしていたルイーズさんがやってきて、一気に不穏な雰囲気に。ルイーズさんは、ショーララ家の存在をかぎつけて金もうけをたくらんでいるようなのです。でも、アンネリのビタミン剤を飲んで巨大になったショーララ家のプティ坊のおかげで計画は失敗。そして、うまい具合に薔薇乃木夫人があらわれてショーララ家にぴったりのおうちを紹介し、アンネリには弟が生まれて、みんなにとって最高な春を迎えられたのでした。 (は)