児童書評価のページ

新刊・古典とりまぜて児童書を評価します

ゴリランとわたし

 

スウェーデンの児童文学。こどもの家ヨモギギク園で暮らしているヨンナは、9歳のある日、突然子どもを引き取りたいと来たゴリラのゴリランに引き取られることになってしまった! おそろしいオンボロ車でたどり着いたのは、これまたひどい家。ゴリランは、庭にみんながゴミを捨てにくるのに値をつけて売っては暮らしをたてていた。ゴリランに何をされるかビクビクするヨンナ。ヤード園長が見たら卒倒しそうな乱雑な家。だが、ヨンナは新しい暮らしが気に入ってくる。けれどもゴリランが住む土地を狙う開発業者のトードのせいで、二人は追い詰められていく! なにしろゴリラなのだから、周りとは違いすぎるゴリラン。一緒に歩くだけでも恥ずかしくてたまらなかったヨンナ。だがヨンナは、少しづつゴリランの視点で周りを見るようになる。奇想天外な設定が、ひどく現実的なのは、今、私たちとは違いすぎるけど実は素晴らしい隣人がいることに気づかないで差別する人間が多い社会だから? 長編だが、読み聞かせをしてあげたら、主人公と同じ9歳位からとても共感をもって読んでくれる気がする。

立ちどまらない少女たち <少女マンガ>的想像力のゆくえ

 

キャンディ・キャンディ」の著作権裁判で、原作者と漫画家が共に「あしながおじさん」「赤毛のアン」などのアメリカ等の児童文学を自分のオリジナリティを生み出した源泉として語っているのを聞いて、実は英米児童文学は少女漫画に大きな影響を与えていて、少女漫画の中で、外国はどのように描かれているのかをそれらとの関係で探ろうとした研究書。引用される初期の少女漫画は1960年代からのものもあるので、若い読者だと元の作品がわからないかも! 幸い70年代位からは読んでいるものが多かったので、イメージがつかみやすかった。漫画を扱っているといっても、きちんと論文として書かれているので、気楽に読み流せる本ではないが、その分、一つ一つの論考に説得力があった。最初は遠い国として、次は手が届くあこがれの国として、そして明暗を備えたリアルな国となっていく外国。ここではないどこかを求める思いと、女の子の自己肯定の欲求。いかにも、の少女漫画の中に、自分を認め、自立していきたいという思いがやはり含まれていることに考えさせられた。

青いつばさ

 

ジョシュは、11歳。5歳年上の兄ヤードランの面倒をずっと見てきた。大好きで大きな兄だが、心は小さな子どもで、夢中になって興奮すると、何も他のことが目に入らなくなって突き進んでしまう。最近かあさんの新しい夫とその娘ヤスミンが引っ越してきた。二人の父さんは、母さんを捨てて、ずっと昔に家を出てしまったので、ジュシュには父さんの記憶がほとんどない。偶然見つけたけがをしたツルの子どもに夢中になったヤードランは、家でツルの子の看病をし、飛び方を教えようとして、昔、母さんが舞台女優だった時に使った青いつばさをつけて高いところにあがろうとした。なんとかやめさせようと代わりにつばさをつけて登ったジュシュの後から、興奮したヤードランはついてきてジュシュを突き落としてしまった! 両足を骨折したジュシュを見て、母さんは、力が強くなってきたヤードランをずっと家で見るのは難しいと、それまでも通所していた〈空間〉の寮に移そうと決意する。家を離れたくないヤードランと、兄と一緒にいたいジュシュは病院を脱出。兄のトラクター(農業実習で使っている)につるの子と乗って、つるを南に連れていくと言い張るヤードランと共に旅に出る。大好きな兄ではあるが、バクハツすればコントロールは効かない。幼い時から、その兄に配慮してきたジュシュはヤングケアラーとも言えるだろうが、兄が大好きなのも真実なのだ。二人を長年必死に守ってきた母、施設の親身な職員ミカ、そして新たに家族となった継父とヤスミンなど、周りの人たちの姿もしっかり描かれている。車いすでヤードランと旅をして、生まれて初めて周りの人間が自分のことをヤードランに「その子大丈夫なの?」と言っているのを聞き、逆転した立場を新鮮に感じるジュシュ。二人と1羽の逃避行が魅力、最後までドキドキしながら読める。

みつばちと少年

 

雅也は、中学生になったら一人で遊びに来てもいいといったおじさんの所へ夏休み遊びに来た。三重から電車を乗り継いで北海道へ、おじは養蜂家でミツバチを飼っている。ところが、叔父の家ではなく、近くの「北の太陽の家」で寝泊まりすることになり驚く。実は雅也は発達障害というトラブルを抱えていて、同級生とうまくやっていくことができないのだ。この家では、さまざまな事情で家族と暮らせない子どもたちがすごしていた。そんな中で、雅也は同じ年の海鳴(かいなる)、小1の瑛介、小3のゆず、5歳の麻央、小5の杏奈の5人と出会う。『みつばちマーヤの冒険』の物語が、たえず引用され、雅也が初めて友だちを作る喜びを得て、杏奈のためにみんなでイカメシコンテストに挑戦する物語となっている。雅也の発達障害のトラブルは、言いすぎてしまう様子として書かれているが、その割には北の太陽では、あまりそのようすが出ない感じもする。例えば『夜中に犬に起こった奇妙な事件』マーク・ハットン著 の主人公などは、どうしても他の人を理解できない主人公の様子がきっちり書かれているが、雅也は他の人について理解できないというより言い出したら止められない子? という位。今まで、一人も友人ができなかった子が、トラブルを抱えた子たちとすぐなじむのも、正直不自然に感じてしまった。そして養蜂家の暮らしや蜂の生活についても、具体的に描かれてはいないので、ざっくりした背景画のよう。読みやすいが、物足りない。だが『みつばちマーヤの冒険』を読みたくなった。

気温が1度上がると、どうなるの? 地球の未来を考える 気候変動のしくみ

 

地球変動や温室効果ガスについて基本的な情報が説明されている。気候について自然科学のメカニズム、歴史的な変化(恐竜時代はもっと暖かかったなど)、そして現在の温室効果ガスの問題と進む。だが、読んでいてふと思った。人為的な環境破壊はしてはいけないことだろうが、恐竜時代のように地球自体の変化により周期的な高温期になることもある。私たちはしょせん人間の都合だけで、人間に最適な(どこの地域の?という但し書きがつくが)環境に執着しているのかもとも。そして、それは今が基準だが、ほんの少し前は、ここまで環境に負荷をかけていなかったことなどに思いを馳せてしまう。身の回りの小さなことから始めることは大切だが、何を優先すべきかでいがみ合うのは避けたい。

オンボロやしきの人形たち

 

素直でわかりやすいお話なので、読んであげれば5歳くらいから楽しめそう。物語は、古びた人形の家の古びた人形たちが主人公。新しいきれいな人形の家と美しい人形たちが届いたことで、オンボロ屋敷とよばれる古い人形の家は捨てられそうになってしまいます。それでも、部屋の隅に押し込まれたことで、みんなから忘れられたおかげで、みんなで楽しく暮らし続けることができました。ところが、この家の女の子と同じくらいの小さな王女さまが来ることになり、大掃除の中で、ついにこれまで! となりそうになります。辛い暮らしを明るく乗り切る個性あふれる人形たちと、新しい人形の家、ピカピカ城のお高くとまった人形たちの対比など、コントラストがくっきりしていて小さな子にもわかりやすい。「小公女』の翌年に書かれた物語とのことでした。

地球から宇宙をめざせ!

 

宇宙や宇宙開春についての情報が見開き2p単位で紹介されている。文字説明は、ほぼ普通の大きさの囲み内の文字に加え、絵に添えたかなり小さめの文字で構成されている。太陽や惑星の大きさの説明で果実を使ったり、人間が住みやすい惑星の呼び名が3匹のクマにでてくる女の子の名前に由来するとあったり、ちょっと「へぇ~」と思う、イメージがわきやすい具体的なエピソードが紹介されている。太陽や惑星調査のためのさまざまな試み(日本のはやぶさも)紹介されていて、宇宙に関心を持つ子にとって興味深いものになっている。