児童書評価のページ

新刊・古典とりまぜて児童書を評価します

リーサの庭の花まつり

 

あしたは夏至まつりという日。リーサは、森のはずれの小さな家にひとりおるすばん。戸口の階段に座ってながめる庭の花たちは、何かもの言いたげにみえます。リーサが話しかけてみると、夏至の精が現れて、リーサのまぶたに花のしずくをたらしました。すると、花たちが生き生きと動き出したのです!さあ、花まつりの始まりです。

こおろぎやハチたちが音楽をかなで、様々な花が列をなして集まってきます。くさはらや森に畑、池や沼そして家の中の鉢植えから。雑草もちゃんと席をもらいました。やがて歌い出す鳥たち。まるでミュージカルの世界です。さいごは、かえるの子守唄で、みんな眠りについたのでした。

北欧スウェーデン夏至まつりは、私たちにとっての春を迎える喜びに重なります。たくさんの草花や野菜、雑草の特徴をとらえ擬人化した挿絵の美しいこと。実生活ではやっかいに感じる雑草たちの、たくましい生命力が好ましくさえ思えます。 (は)

おとうさん、お元気ですか・・・

 

ソフィーのおとうさんは、世界中の荷物を運ぶ船で、1年間にわたる長い航海に出かけています。文章は、ソフィーの手紙でつづられます。


おとうさん、お元気ですか。今日は雨ふり。でも、わたしは、真っ赤な長ぐつでごきげんです。
弟のティミィにまた歯が生えました。ぜんぶで6本です。
わたし、ピアノをならうって決めました。ピアニストになったら、おとうさんのように世界中をまわれるでしょ。

見開きの画面を2段に分けて、メインとなるソフィーの家の四季の変化を定点で描き、その上段に船上や外国での父親の様子が、同時進行で読者に見えている。最後に、おとうさんが帰宅する場面に文章はなく、おとうさんの乗ったバスの遠景から、家の前に着いたバス、段を下りるおとうさんの足、そして抱き合うソフィーとおとうさん。上下が同じ場所になったとき、遠く離れていた日々を経た実感を、読者もあじわいます。 (は)

昔話の扉をひらこう

 

著者は、昔話研究を一筋に70年以上。昔話は子どもの成長を助ける、だから身近な人の声でぜひ語ってあげてください、と一貫して伝えてきた。その理由は、昔話のもつ特徴にあるということを、易しく解説している。

音とリズムの心地よさ。耳で聴いてわかりやすい仕組み、すなわち語り口。3回のくり返しが、先の展開を類推する思考力を育むこと。教訓とみられがちな内容は、人間(子ども)への信頼を語っていること。何よりも、場面を想像しながら聴くことは”能動的な楽しみ”であること。
自身の半生や、柳田國男からの忘れられない言葉にもふれ、著者の人柄が垣間見える。

日本とグリムの小さなお話集や、昔話の覚え方のコツ、そして2人の息子との親子鼎談もつく。この鼎談がひときわおもしろい! 次男の小沢健二による「言葉」論の熱いこと。「言葉=骨=記憶」という説がなるほど、です。そして鼎談ラストのエピソードがふるっています。息子たちが幼い頃の一時期をドイツに暮らし、2人ともドイツ語を身につけたが。ある日健二は「どうして、鶏は日本語で鳴くの?」と父親に尋ねたとか。鶏の鳴き声だけは、ドイツ語の「キケリキー」ではなく「コケコッコー」に聴こえたのですね。 (は)

しんぞうとひげ

 

昔あるところに心臓とひげがいました。貧乏で水だけでしのいでいた2人は、ある日ばったり出会う。ひげは腹ぺこのあまり心臓に飛びかかりました。慌てて逃げる心臓。向こうからやってきた人間の男に頼んで体の中に隠してもらいます。しばらくして追いついたひげは、男の口の周りにはりついて心臓が出てくるのを待ち伏せすることにしました・・・というわけで、男の人にはひげが生え心臓が左胸にあるのです、という由来譚。
東アフリカ・タンザニアの昔話。心臓とひげの姿が衝撃的! エナメルペンキを使うティンガティンガ・アートで描かれた絵が目に鮮やかで楽しく、タンザニアの動物や植物、風俗などもふんだんに盛りこまれている。覚えて語れば様々な想像がふくらんで楽しそう。タンザニア流に「パウカー(はじめるよー)」「パカワー(はーい)」のかけ声でぜひ。 (は)

言葉の力 人間の力

 

異分野、2世代の4人がリレーする5つの対談を収める。

1926年生まれの松居直氏と加古里子氏に共通するのは、日本のアジア侵略に対する償いと、戦争に生き残った自分はどう生きるかという思い。1936年生まれの中村桂子氏と舘野泉氏は、疎開先で触れた自然、くらし、遊び、空襲に焼けた本やお雛様といった子ども時代の記憶に、通じるものがある。

対談は2011年の3月~8月に行われたことから、司会者が、東日本大震災後の思いについて尋ねている。自然誌科学の中村桂子さんは、「技術より人間を大切にするようになるという予感」を伝え、児童書編集者の松居直さんは、「(人類の)重大な岐路」として、過去、現在を知って未来を展望することを。左手のピアニストの舘野泉さんは、「いいと思ってやってきたこと(日常の行為)を続けていくしかない」と力強く。そして絵本作家の加古里子さんは、遊びの中で正しさを解っていく子どもへの揺るぎない尊敬を。

心に留めたい言葉は多々あり。その言葉や生きざまを受けて、自分はどう考えるか。人の声、言葉で、伝え続けてゆくことなのだと思います。 (は)

いのち愛づる姫―ものみな一つの細胞から

 

時はいにしえの都の春。大納言の姫君は、虫を愛でる変わり者。毛虫を手にのせて見とれるうち、うとうと眠ってしまった姫君の夢に、次々とユニークな登場人物が現れ、1つの細胞から始まった38億年のいのちの歴史を教えていく。夢から覚めた姫君は、虫愛づる姫から「生命(いのち)愛づる姫」に成長されたのでした。

生命誌を唱える科学者の中村桂子さんと童話作家が組んでつくった朗読ミュージカルに、自然の宇宙を描き出す絵画。バクテリアは威勢のいい飛脚、年じゅう集っているカイメンは町娘、タイは赤ら顔の裕福な男など、特徴をとらえた擬人化がおもしろい。

カイメンの細胞の遺伝子に、人間の脳ではたらくのと同じものがあったり、シダにも花をつくる遺伝子があったりして、「ヒト」や「花」の遺伝子が新しいのではなく、「すでに存在するもの」や「変化したもの」の組み合わせが生物の多様性を生んだこと。シダは「牡丹、シャクヤク、ユリの花、なにさでもなれる可能性を秘めているのでがんす」と言い、ミドリムシが「人間みたいに戦で仲間をほろぼす生き物は、おらへん」と言う。すべてのいのちを全体として1つのつながりで捉える、生命誌の考え方がよく理解できます。巻末に、顕微鏡写真と詳しい解説。 (は)

もりのおばあさん

 

むかし、森のはずれの小さなうちに、とても年をとったおばあさんと犬のパンク、あひるのポンク、ぶたのピンクが暮らしていました。ある日、この家の持ち主のおいがやってきて、おばあさんたちを追い出してしまいます。パンクたちは、その赤い顔をした”あかなす”から家を取り戻すべく行動を開始。おばあさんに恩がある川ねずみの王さまや、つばめの女王たちに頼んでひとあばれしてもらいますが、”あかなす”が取り寄せた何千匹のねこを相手にあえなく退散。でも、犬のパンクが偶然見つけたハチの大軍を使って、”あかなす”とねこを追っ払うことに成功。おばあさんとパンクたちはうちに帰ることができ、いつまでも幸せに暮らしたのでした。
「もりのおばあさん」というタイトルだが、活躍するのは動物たち。動物たちが知恵をめぐらせ盛んに会話する文章と、漫画家のペンが走るような挿絵が、生き生きした姿を立ち上がらせています。 (は)