児童書評価のページ

新刊・古典とりまぜて児童書を評価します

小公女 吉田訳

小公女 (岩波少年文庫 (2027))

小公女 (岩波少年文庫 (2027))

  • 作者: フランシス・ホジソンバーネット,レジナルド・B・バーチ,Frances Hodgson Burnett,吉田勝江
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1987
  • メディア: 単行本
  • 購入: 1人 クリック: 2回
  • この商品を含むブログを見る

 

脇訳の出る前の、古い方の少年文庫版。

さすがに、いささか古めかしいという印象はぬぐえない。

表紙絵、字の大きさ、詰まり具合、はハードルを高いものにしている。

「おわびいたします」「わたくし」など、言葉遣いには時代が出る。セーラはとても端正で、いまどきこういう女の子はいないだろう(そのこと自体は決して悪いことではない)と思わせる。ただ、むしろ、セーラの人間像というよりも、こういう人間の上下関係が、いまどきないと思われる。

 

「考えごとをしていましたので。」と、セーラはいいました。

「さっさとあやまりなさい。」ミンチン先生は、そういいました。

セーラは、ちょっとためらって、それからこう答えました。

「笑ったのは、おわびいたします、それが失礼なのでしたら。」そういってから、「でも、考えごとをしていたことは、わるいとは思いません。」といいました。

「なにを考えごとをしていたんだ?」と、先生はきっとなって聞きました。「考えごとだなんて、ずうずうしい。なにを考えていたのかというんだよ。」

 

 

「わたくしは、」と、セーラはわるびれずに、しかも、いんぎんに答えました。「先生は、ご自分のなすったことが、おわかりになっていないと考えておりました。」

「わたしが自分のしたことが、わかってないだって?」ミンチン先生は、まったく息がとまりそうでした。

「そうでございます。」セーラはいいました。「それから、もしも、わたくしが王女さまで、そのわたくしを、先生がおなぐりになったのだったら、どういうことになるのだろう、と考えておりました―わたくしは、先生にたいして、どうすればよいかということをです。それからまた、わたくしが、ほんとに王女さまだったら、先生は、けっして、あんなことをなさらなかっただろうと考えていました。わたくしがどんなことをいおうと、また、しようと。そして、また急にお気がおつきになったら、どんなに、おおどろきになって、はっとなさるだろうと―」

セーラには、そのさきのことが、ありありと目にみえるようでしたので、そのいいかたを聞いていると、さすがのミンチン先生も、なにか、ドキンとしたようでした。そのときばかりは、心がせまく、空想的でないミンチン先生も、このずうずうしい大胆不敵な子どものかげに、なにかの力が、ほんとうにかくされているのではないか、と思ったほどでした。

「なんだって?」先生はさけびました。「なにに気がつくというのです?」

「わたくしが、ほんとうに王女さまだということにです。」と、セーラはいいました。「そして、わたくしはなんだって―思うとおりのことができるのだ、ということにです。」