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わたしはマララ 教育のために立ち上がり、タリバンに撃たれた少女

 

わたしはマララ: 教育のために立ち上がり、タリバンに撃たれた少女

わたしはマララ: 教育のために立ち上がり、タリバンに撃たれた少女

 

 女子教育の重要性を訴え、タリバンに銃撃され、重傷となったが助かってノーベル平和賞を受賞した少女。マララに対してはそんなイメージを持っていた。それが間違ではないが、マララの素顔と事件の背景がよくわかる本。マララが生まれ育ったスワート渓谷は、自然が豊かで古くからの文化もあり、観光客も多いリゾート地だった。教育者として学校を作った父のもとで、懸命に勉強して優等生でいたが、徐々にタリバンが進出してきてまちの雰囲気が変わる。女性は親族の付き添いなしでは外出もできなくなり、観光客は去る。古い仏教遺跡が破壊される。折から自然災害が多発。真っ先にボランティアに来てくれたタリバンに住民たちは取り込まれていく。当初は、穏やかな道徳論を述べて、みんなの心と寄付金をつかんだタリバンは、徐々に圧力を強め、最後には宗教の名のもとに、反対する人間を次々殺害、学校を爆破していく。爆弾におびえる妻に「お前が、寄付した金の腕輪が爆発しているんだ」と、夫が言う場面があるが、実際、爆弾や兵器は、庶民から巻き上げたお金で作られているのだと思うと恐ろしい。スワート渓谷が穏やかな土地だったように、マララも努力家だけど、ごく普通の女の子だった。近所の女の子のオモチャをこっそり盗んでしまったこと、大きくなって髪型のセットに凝って母親からバスルームを独占するなと叱られたことなどのエピソードは、英雄ではない生き生きした一人の女の子の日常を伝えてくれている。誰も何も言わないと知ってもらえない! だから、匿名でブログを書いたり、インタビューに応えて、息苦しさが増す毎日を世界に発信する努力を続けた。父親との絆はとても強い。このような状況の中で、女の子が発言することが許されるのは、父親が全面的にバックアップしてくれる時だけだ。マララが銃撃された時の両親の恐怖、助けたスタッフの国を超えた連携プレイ、同時にそこに動く国同士の対面の張り合いなど、読み進めていてドキドキする。単なるかわいそうな被害者でもなく、英雄でもない人間としてのマララを背景を含めて描いている。最近は絵本のような伝記が多い中で、とても貴重な一冊。