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ヒロシマをのこす 平和記念資料館をつくった人・長岡省吾

 

 今は世界遺産にもなっている広島の平和記念資料館は、いち地質学者による石拾いが始まりだった。
広島文理科大学(現広島大学)で地質学を担当していた長岡省吾。1945年8月7日、原爆投下の翌日、爆心地近くで表面に無数のトゲのある石を見つけた。600度以上(実際は3000度を超えた)の高温で溶けたものとみた長岡は、この現象を解明しなければと、被爆した石や瓦、コンクリート片を集め始める。周囲に奇異な目で見られながらひたすら石拾い。同時に原爆の熱線によって道路などに残された”死の影”の方向と角度を測定し爆心地の割り出しも行った。地質学者としての使命感はやがて、生き残った者の責任としての遺品収集へと変わっていく。こうして収集された膨大な被爆資料は、1950年8月6日職員長岡のみの原爆記念館に展示されてスタート。1955年には、丹下健三設計による平和公園の中心に広島平和記念資料館としてオープンする。しかし、同年東京では原子力平和利用博覧会が開かれており、翌年には広島でしかも長岡渾身の資料館を会場に行われる。その後も、原子力平和利用資料と被爆資料の併存展示、美術館への転用話、原爆ドームの存亡の危機などを乗り越え、平和記念資料館は現在も、原爆の負の真実を知るために世界中の人々が訪れる施設として存在し続けている。
長岡省吾の偉業だけでなく、原爆投下前後の市民のドキュメントが胸に迫る。また、コラム解説(広島と長崎の原子爆弾の違い、放射線被害の恐ろしさなど)や、資料写真も豊富でわかりやすい。中高生もぜひ読んでほしい。被爆国(第五福竜丸事件も含め)なのに原子力の平和利用という矛盾、国家の圧力、遺構を残すべきという考えの一方悲惨な状況を思い出したくないという市民感情など、考えることはたくさんある。(は)