児童書評価のページ

新刊・古典とりまぜて児童書を評価します

きょうりゅうくんとさんぽ

 

きょうりゅうくんとさんぽ (はじめてひとりでよむ本)

きょうりゅうくんとさんぽ (はじめてひとりでよむ本)

 

 よんであげれば4,5歳から楽しめる。ユーモラスな線画できょうりゅうが描かれた表紙を見るだけで子どもたちが借りていく。博物館に行ったダニーはきょうりゅうを見て、一緒に遊べたらなというと、きょうりゅうもダニーと遊びたいと言ってくれた! 外に出た二人を見て道行く人がビックリするのでダニーは大得意。一日中楽しく遊んだら別れたくなくなってしまったけれど、みんなが博物館に来た時に、ぼくがいないと困るよときょうりゅうに説得されてお別れする。子どもが満足して納得できる物語になっている。

長くつ下のピッピ(リンドグレーン・コレクション)

 

長くつ下のピッピ (リンドグレーン・コレクション)

長くつ下のピッピ (リンドグレーン・コレクション)

 

 これからの子どもたちにもリンドグレーン作品を楽しみ続けてもらえるように、「今の子、そしてこれからの子が手に取ってくれるおしゃれな本を」という思いで刊行が開始されたリンドグレーン・コレクションの第1弾。
挿絵は、スウェーデン語初版当時(1945年)のイングリッド・ヴァン・ニイマン。全く古びることなく、ポップでむしろ新しい。古びないのは、リンドグレーンのユーモアあふれる文章もしかり。菱木晃子の訳文がテンポよく、ピッピの思うままに繰り出されるしゃべり倒しが一段とおもしろくなっている。菱木訳は2007年にも、リンドグレーン生誕100年記念版『長くつ下のピッピ ニューエディション』(ローレン・チャイルド絵、岩波書店、2007年)が出ており、今回はそれをベースに、「個性的な挿絵と横組みのレイアウト」の制約があった部分など全体を見直したとのこと。
1964年の大塚勇三訳当時からは、時代とともに言葉が古くなったり、逆にそのままでも通じるようなったりした言葉は、すでに2007年版で見直されている。たとえば、ピッピがクッキー生地を入れるのは、「かまど」から「オーブン」に、「コーヒー茶わん」は「コーヒーカップ」に、「まるい味つけパン」は「シナモンロール」になど。それから、「黒人」と言う表現は削除するなどの配慮もされた。一方、「「掛け算の九九」を、大塚勇三が「竹さんの靴」、菱木晃子の2007年版で「はげさんのくず」、今回は「かかさんのコツ」と訳していて、ピッピ得意のだじゃれを日本語にするための工夫(苦労)が見られる。
ところで以前勤めた小学校で、ローレン・チャイルド版が4年生の女の子たちにブームになった。「続きはある?」と聞かれ、岩波少年文庫版(大塚雄三訳、桜井誠絵)を見せたら、「ええー、なにこれ、全然ちがう」とがっかりされたことがあった。私などは、こっちが”本当”のピッピなのに!くらいの気持ちだったが、ローレン・チャイルドのピッピは都会的でおしゃれな感じで、確かに全くちがうピッピだ。
しかし、この新装版「リンドグレーン・コレクション」なら、当時の4年生もきっと喜んで手に取ってくれるにちがいない。

ヒトラーと暮らした少年

 

ヒトラーと暮らした少年

ヒトラーと暮らした少年

 

ピエロの父はドイツ人、母はフランス人で二人はパリで暮らしていた。だが第一次世界大戦に従軍した父は戦場で心を病み、酒を飲んでは暴力をふるい家を出たのちに列車に轢かれて死んだ。その後母も病死。親友だったアンシェルの家がしばし引き取ってくれたが、ユダヤ人である一家には余裕がなく孤児院に送られる。まもなく交流がなかった父の妹と連絡が付き、叔母であるベアトリクスに引き取られた。ベアトリクスは山の上の別荘で家政婦をしており、ピエロは名をドイツ風にペーターにしなければならないし、ユダヤ人と友人だったと言ってはいけないと命じる。そしてある日、ついに別荘の主アドルフ・ヒトラーがやってくる。最高権力者に目をかけてもらったピエロは有頂天になり、おとなしく優しい性格から徐々にヒトラーやその取り巻きのものいいを真似るようになっていく。年齢前にヒトラー・ユーゲントの制服をもらって誇らしくなり、自分が重要だと思いたくなり召使を見下す言動をとり始める。ついには親切だった運転手と叔母がヒトラー暗殺計画を立てていることを察知してヒトラーに告げ、二人は処刑された。ユダヤ人の強制収容所建設の話し合いの書記も手伝う。幼馴染の聡明で美しいカタリーナに恋するが、彼女に拒まれると自分のような重要な人物に逆らうのかとレイプしようとし、それをギリギリで阻止した料理人のエマもろとも逆恨みをし、カタリーナは村を追われ、エマも連行された。そして敗戦を迎える。兵士として収容所に入れられた中で、自分が手を貸したことやヒトラーの真の姿に気付き混迷する。人に命令したり、他人を見下す快楽は、こんなに控えめな男の子を狂わせていくのだろうか?とも思うが、実際に戦時中には自分の親を反ナチとして告発した子どももいたという。そういう加害者となり、後でそれに気づき、その罪と向かい合う決心をするということは、ここまで極端ではなくても、子どもの身近に多くあるのではないか? 自分がその立場だったらと意識して読みたい。 

わゴムのふしぎ工作

 

わゴムのふしぎ工作 (ちょこっとできるびっくり! 工作)

わゴムのふしぎ工作 (ちょこっとできるびっくり! 工作)

 

 実用的なわゴム工作の本。保護者が手助けしてあげれば幼児でも製作可能。小学生なら、見ながら自力で作れをそう。冒頭に「わゴムって、なんだろう?」としてゴムの木から作られること、「どんなわゴムがあるのかな?」としてわゴムサイズの紹介があり、「ねじってあそぼう」「のばしてあそぼう」「はじいてあそぼう」とそれぞれの工作を紹介。簡単にやればちょっとした科学遊びの会ができそうだし、一部造形に凝れば夏休みの宿題として提出してもおかしくないものがつくれそう。身近な材料なので、家庭で親子でチャレンジしても良いと思う。

戦争を取材する 子どもたちは何を体験したのか

 

世の中への扉 戦争を取材する─子どもたちは何を体験したのか

世の中への扉 戦争を取材する─子どもたちは何を体験したのか

 

 2012年シリアでの取材中に銃撃で殺害された山本氏が、その前年に出版した本であるため、本の著者紹介にはそのことは書いてない。戦争の現実、地雷、少年兵、戦争体験のトラウマ、難民などのさまざまな問題を、子どもにわかりやすい平易な言葉できちんと伝えようとしている。ただ、多くの問題が取り上げたことで、ちょっと羅列的になってしまっているようにも感じた。自分のジャーナリストという仕事の意味を真剣に考えた冒頭のように、もう一歩、それぞれの内容に深く踏み込んでもらっても良かったように思う。たとえば少年兵を社会復帰させるプログラムについてなど、攻撃的だったターティを紹介しながら書いてはあるけれど、人を殺すという恐ろしいハードルを越えて、麻痺していくようすを一般化した形ではなく、ターティの体験として、個別の人間に起こったことなんだと語って欲しい気がした。始めてしまうと、終えるのが難しい、また、終わったはずでも憎しみが残り終わらない戦争の恐ろしさが、子どもたちに伝わって欲しいと思う。

知らなかったぼくらの戦争

 

知らなかった、ぼくらの戦争

知らなかった、ぼくらの戦争

 

アメリカ人の目から見た真珠湾攻撃。無線が解読されていたことが判明している中で、絶対破壊されては困る空母を温存しているのに、開戦をすすめるためにあえて真珠湾の部隊を避難させなかったのなら、それはアメリカ国民として許せない、という視点など新鮮だった。日本人だけが日系収容所に入れられ、日本人の外見を誇張して宣伝したのも、本土空襲や原爆投下に際し、日本人に同情を寄せないためではなかったかなどの指摘もシビア。いろいろな人たちとの対談で、日本側の問題についても高畑勲氏のその空気に「のっかっていた」恐ろしさを指摘している。日本は戦後だが、アメリカは絶えず戦争をしていた。そして、その戦争が日本には無関係とはいえないという問題の指摘が厳しい。 

正義の声は消えない 反ナチス・白バラ抵抗運動の学生たち

 

 ナチスに抵抗した学生たちグループ「白バラ」ハンスとゾフィーの兄妹を中心に、その軌跡を追うもの。ハンスが最初はヒトラーユーゲントで熱心に活動していたのに、行き詰っていくようすなどは良いが、傑出した存在だけに読者は「自分はこんなことができるだろうか?」という気になりそう。ビラを配っただけでギロチン刑にかけられるという極端な時代の中で、自分の中の弱さとどう折り合いをつけて抵抗運動を行っていったのかの書き込みがもう少しあったら、自分だったら何ができるか、という部分に踏み込めたのではないかと思った。こういう偉い人がいたんだ、すごいね、で終わらない読み方をしたい。