児童書評価のページ

新刊・古典とりまぜて児童書を評価します

桃太郎の運命

 

昔話としては比較的新しい「桃太郎」。日本人で知らぬ人はいないと思われるこの主人公は、様々にくり返しパロディ化されてきた。つまり、「政治的・社会的・文化的な変化」を背景にした設定で、時代の要請に応じた「子ども観・教育観・児童文学観」を具現する役目という「運命」を背負ってきたというのだが。そのぶっ飛んだパロディぶりに驚いた。
明治期の桃太郎は、天皇の名のもとに鬼を退治する「皇国の子」だった。一転、大正期の「赤い鳥」時代は「童心の子」。北原白秋新美南吉浜田広介らが童謡を作詞。鬼ヶ島へ行く途中「お家が恋しくなって」しまう7つの桃太郎を描写した作家もいた。

大正・中後期はプロレタリア文化の影響で、桃太郎は「階級の子」。犬さるキジを搾取する資本家や地主、または逆に鬼地主をやっつける小作人の象徴として描かれた。

昭和の十五年戦争期には「侵略の子」。桃太郎隊長は、空母艦上で犬さるキジ隊員に訓示したりもする。本書の最終章、戦後民主主義になると、人気のプロ野球チームで戦う選手役など「民衆の子」となった。
本書の刊行は1983年。今も確かに、CMやゲームのキャラクターとして、その変遷は続いているようだが。著者は、「今後ふたたびこの愛すべき民話の主人公が、その意に反した変容を強いられないように、しっかりと見守っていかなければならない。」と結んでいる。 (は)

虹になった娘と星うらない―インドネシアの昔ばなし

 

表題話は、村のおきてを破って結婚した星占い師と娘。日照りがつづくのは2人のせいだと村人たちが家に押し寄せると、七色のけむりが天へと立ちのぼり、2人は美しい虹になる。
「プリア・ポカ」は、シンデレラ話。貧しく美しい娘が、7人のおばから毎日いじめられるが、7人の天女の助けで織った美しい布を決め手に王子と結婚する。
「マホロイの狩り人」は、森で竜の姿を見てしまったために竜の化身にされ、同時に永遠の若さも手に入れて村へ帰った狩人が、孫たちに不死身の秘密を明かしてしまったとたん、みるみる巨大な竜に変わり、河の底へ姿を消す。

大小3000もの島々からなる”海の国”インドネシア。編訳者の菊地三郎氏は、うらしま太郎の竜宮城のような景色に、日本との深いつながりを感じたという。一方、イルカや小鹿のカンチル、リスなどが登場するのは、やはり独特。昔話のほか、実際の地名や人名が登場する伝説を21話収める。
あとがき解説に、菊地三郎氏の経営する「アジア・アフリカ語学院」でのエピソードがある。日本語劇「桃太郎」を脚本・演出した中国人学生。鬼ヶ島(他国)侵略の結果、桃太郎が得た嫁はとても腕力が強く、桃太郎は朝から晩までこき使われましたとさ・・・というラストだったそうです。 (は)

世界一やさしい依存症入門

 

著者は、薬物依存症を専門とする精神科医。依存症に対して言われがちな「自己責任」「ダメ人間」「かまってちゃん」といったイメージを変えたいと、本書を執筆。多くの事例を挙げながら、なぜ度を越してハマってしまうのか、どうやってそれを脱することができたのか、その過程をわかりやすく解説する。

事例は、どこにでもいるごく普通の中学生。ハマる「モノ」「行為」も、薬物、自傷などの一方、度を越さなければ問題ないもの―エナジードリンクや市販薬、ゲーム、SNS―であったりする。依存症になりやすい人は、「人に依存できない」。人からほめられ認められ「天然のドーパミンの心地よさ」を知っている人は、依存症になりにくいのだという。だとすると、薬物依存を「犯罪」として、法的にも社会的にも「罰」している日本の対策の遅れがよくわかる。「ダメ。ゼッタイ。」ではなく、「失敗ややり直しが許される社会」にしなければならないと、ここにも「失敗」というキーワードが。
コラム「ヒコ先生の相談室」では、依存症かもしれない友人への接し方や声がけをアドバイス。巻末に、困ったときの相談先リストと、当事者や友人、親、先生へ向けたメッセージを載せ、お互いに理解を深め解決の糸口を見つけられそうと思える。 (は)

生きのびるための「失敗」入門(14歳の世渡り術)

 

中学時代いじめに遭ったという著者。「美談ではない、ただの大人の失敗談が聞けたら、どんなに楽に」なれていただろうとの思いから、7つのインタビューと対談を本書にまとめた。
作家あさのあつこさんは、子育ての失敗を振り返って「親は捨てることができるよ」という解放を、探検家は「計画することが失敗の始まり」という価値観を、引きこもりや醜形恐怖症経験者は、「人生の、かなりの問題が、場数と慣れで解決」するから、失敗に慣れることだ!というエールを送る。
どの話からも浮かび上がってくるキーワードは、生きていていいという「自己肯定感」と「他者や社会への信頼感」。中でも、臨床心理士の東畑開人さんの言葉にはっとします。「成功体験の前に必要なのは、なんらかの安全感や信頼の回復」なのだと。私も、若い人がやってみようともしないことに対して、成功体験がないからだと思ってきたひとりでした。ちなみに東畑さんは、「母の友」2022年4月号(福音館書店)でも「自己肯定感の真実」をわかりやすく解説。「自己を肯定する作業は~まわりがすること」と話されていて、目からうろこがおちました。 (は)

ふしぎなともだち

 

2年生の冬休みに島へ引っ越してきたぼく。同じクラスのやっくんは、ひとりごとを言ったり、とつぜん教室を飛び出したりするのに驚いた。でも、ほかのみんなは気にしない。いけないことをした時はやさしくおしえてあげて、みんなで包みこんでいるよう。「自閉症というしょうがいがあって、おはなしするのがにがてなの」と、先生がおしえてくれた。気持ちを落ち着かせるためのひとりごとは、副作用のない薬なんだ。

中学校もみんなと一緒の学校に上がったやっくんを、知らない上級生がいじめるので、ぼくが助けに入ったら、やっくんは「ありがとう、ありがとう」と何度も言って帰った。おとなになって、ぼくは郵便局の配達員、やっくんは作業所でメール便の配達をするようになった。風の強いある日、郵便物を田んぼに落として、ぼくが泣きながら泥をふいていると、やっくんが来て、「はい おしまい、はい おしまい」となぐさめてくれた。やっくんは、言葉でなくて心でわかり合える、ぼくのふしぎなともだちだ。
田島征彦氏が淡路島に暮らしながら、実在のモデルをもとに制作した。型染めの風景は美しく、島の人たちの姿は生き生きと躍動している。 (は)

わすれたって、いいんだよ

 

わたしのおばあちゃんは沖縄料理屋をやっている。お客さんが落ちこんでいると、「なんくるないさー」(どうにかなるさ)と励ましたり、わたしたちの誕生日にはいろいろなごちそうを作ってくれる。でも、ムーチーを食べたいと頼まれたときだけは「つくれないの」とか、自分の誕生日のことは、「わすれてしまったさー」と言う。どうして?

ある日ママが教えてくれた。おばあちゃんが小さいとき戦争をしていて、誕生日祝いのムーチ―をつくろうと月桃の葉をとりに出たお母さんが、爆撃にあって死んでしまったのだと。おばあちゃんにとって、誕生日は悲しい日だったんだ。そのおばあちゃんが認知症になって、ある日、「ムーチーが食べたい」と言った。わたしはママと一緒に張りきってムーチーを作った。おばあちゃんの初めての誕生日会は、お客さんたちがみんな踊り出して、おばあちゃんもとても楽しそう。おばあちゃん、わすれたって、いいんだよ。わたしが覚えていてあげるからね。

沖縄戦もテーマではあるが、認知症を前向きにとらえられる絵本。 (は)

おひさまのたまご

 

夏のある日、森の妖精は、丸くて大きなだいだい色のものが落ちているのを見つけました。妖精は、おひさまの卵にちがいないと思って、森のなかまに知らせます。友だちのコッテやねっこじいちゃん、ふくろうにかえるたち。みんなでおひさまの卵をかこんで、けんけんごうごう。卵がかえったら森が燃えてしまう?水の中でかえした方がいい?するうち、ズアオアトリが飛んできて、これは南の国にたくさんあるオレンジで、中においしいジュースがつまっていると教えます。草のくきを差してすってみると、なんておいしいんでしょう!その時、いやしんぼのカラスがさっと舞い降りてオレンジを取ってしまったのです。妖精が泣いていると、ツグミがなぐさめ、南の国へ連れて行ってくれました。森のみんなの間に、ひととき物議をかもしたこのオレンジ。実は、森へ野イチゴつみに来たラッセ坊やが、かばんから落としたものだったのでした。

まえがきには、ベスコフ自身の「子どもの頃のこと」。ひときわ輝いて思い出される夏の日々。そして、6歳の頃にはもう、お話の本を描きたいと思っていたこと。