児童書評価のページ

新刊・古典とりまぜて児童書を評価します

ぼくたちに翼があったころ コルチャック先生と107人の子どもたち

 

ぼくたちに翼があったころ コルチャック先生と107人の子どもたち (世界傑作童話シリーズ)

ぼくたちに翼があったころ コルチャック先生と107人の子どもたち (世界傑作童話シリーズ)

 

 ポーランドに住むユダヤ人ヤネクは両親が、そして祖母が死んだ後、育ての親だったミラ姉さんが、生きるための結婚をした。義兄にうとまれて入れられた最初の孤児院で足を折られ、たった一つの俊足というプライドをうしないヤネクは荒れる。だが、姉さんが2度目に見つけてくれたコルチャック先生の孤児院は違っていた。清潔な室内、子どもたちの自治。世話をしてくれる先輩。とはいえ、自分を追い出したミラ姉さんへの怒りは消えず、ヤネクは素直になじめなかった。だが、常に穏やかに子どもたちを見つめるコルチャック先生に、徐々に心を開くようになる。ヤネクの心の変化をたどる中で、自然に「孤児たちの家」の様子やコルチャック先生の考え方がわかってくる構成になっている。ヤネクはどう変わるのか?という興味で読ませるが、ユダヤ人の迫害が強まり、姉は、ヤネクにパレスティナにともに亡命しようと訴えに来る。はたしてヤネクはどういう結論を下したのかが明確に書いていない結末や、最後にコルチャック先生自身が生い立ちを語ってくれる、というのが、ちょっと説明っぽくて不満。史実では、この1年ほどあと、コルチャック先生は子どもたちとともに死に向かって歩く。

屋根裏の遠い旅

 

屋根裏の遠い旅 (偕成社文庫)

屋根裏の遠い旅 (偕成社文庫)

 

 いたずら心から6年3組の教室の屋根裏に上った省平と大二郎。ところが、戻った教室は、そっくりだけど違う世界だった。そこでは日本が戦争に勝利して、まだ戦争が続行していたのだ。だが、本土が戦場になっていないせいか、慣れると意外と違和感がなくなってきた。しかし、不用意な発言で目を付けられるようになってしまう。同じようにこの世界に紛れ込んできた大人と知り合うことで、もう一つの世界の分身が、特定の重なった場所で、たまたま同じところに居合わせると入れ替わるらしいことを知り、定期的に屋根裏に上がるようにする。そして手紙を置くことを思いつき、それが届いたと思うのだが、どんでん返しがおこる。初版は1975年であるため、戦前からのおんぼろ校舎がまだあり、そこが通路となるし、親が戦場に行っている年齢である。現代の小学生だと、この主人公が親より上、さすがに祖父母にしては若い世代かも。無人機による誤爆により学校が焼け落ち、先生やクラスメートがなくなる中で、帰り道を失う中で、このようなことは間違っていると激しく思う主人公。タイムトラベルや無人機の誤作動に、きちんと理論づけしてあるところや、最初は目立たない大二郎が、最後に省平圧倒するほどしっかりとした感じになるところはよいが、気に入らなければ腕力で勝負する省平とか、それでいいのか?(武力衝突じゃないの?)など、微妙に気になるところが残る。大人が描く小学生像っぽいのかもしれない。だが、キナくさい現在、子どもたちが読んでもおもしろいかも。

光と風と雲と樹と

 

光と風と雲と樹と (小学校中学年以上)

光と風と雲と樹と (小学校中学年以上)

 

沖縄に近いK列島に戦争について知りたくていった画家(聞き手)が聞かされたのは、戦争に巻き込まれて多くの島民が死んでいった第二次世界大戦の歴史。マルレ(船の特攻隊のようなもの)建設を行うために来た日本軍に、島民は協力する。だが、戦況は激しさを増し、爆撃を受ける沖縄本島の様子が見える。アメリカ軍が上陸し、捕虜収容所も作られるが、抵抗する日本軍の一団が、島民から食べ物を奪い、投降をすすめる島民をスパイ容疑で殺していく。その無残さを描いた作品だが、同時にどこか静謐さもある。島民を殺していく日本人の異常さ、その日本人が戦後慰霊に来ようとしたとき、追い返す島民の思いは、今に続くものを感じる。 

アヴェ・マリアのヴァイオリン

 

アヴェ・マリアのヴァイオリン (単行本)

アヴェ・マリアのヴァイオリン (単行本)

 

あすかは、四国の徳島に住んでいる中学2年生。ヴァイオリンを習いたかった母の勧めで小さい時からヴァイオリンを習っている。そこそこには弾けるがプロになれるレベルとは思えない。父親は医者で、医者になることも期待されている。ある日あすかは1台のヴァイオリンを手に入れる。それは、かつて強制収容所で、ユダヤ人を落ち着かせてガス室に誘導させるための楽団でユダヤ人の少女ハンナが弾いていたものだった。徳島では、第1次世界大戦のときに、ドイツ捕虜を人道的に扱った歴史がある。その美しい史実と、ハンナの過酷な体験を対比させるようにえがあいているのだが・・・・正直、レポートのまとめをよんでいるよう。こういうことがあった、こういうことがあった、という記録を引き写して、物語としてこなしていない。そもそも1200万円のヴァイオリンをポンとかうのかよ~、とかあすかの暮らしにもちょっとびっくり。アウシュビッツと対比させるなら、日本も第2次世界大戦の強制連行や、そうでなくても「戦場にかける橋」など多数の死者を出した捕虜収容所じゃないとフェアじゃないと思う。ハンナは、結局、生き延びたものの心に傷を負って、突然死で亡くなったとのこと。「モーツァルトはおことわり」

 

モーツァルトはおことわり

モーツァルトはおことわり

 

 

と同じテーマだが、焦点を絞った描くか、変に物語仕立てにせずにまとめるべきだったのでは? 

隠れ家 アンネ・フランクと過ごした少年

 

隠れ家 アンネ・フランクと過ごした少年 (海外文学コレクション2)

隠れ家 アンネ・フランクと過ごした少年 (海外文学コレクション2)

 

隠れ家のピーターの視点から『アンネの日記』を語りなおした作品。16~18歳の男の子としての性の悩み。アンネが日記第一なのを冷ややかに見るようす。など、アンネ読者にはおもしろいだろう。また、収容所への移動やそこでの生活については、よくここまでできると、ナチスのした事への恐怖を感じる。“選別”が行われる時、選別をするナチではなく、人数増の原因となった新入りに憎悪が向けられるようすなど、恐ろしい。 

ヒトラー・ユーゲントの若者たち 愛国心の名のもとに

 

ヒトラー・ユーゲントの若者たち―愛国心の名のもとに

ヒトラー・ユーゲントの若者たち―愛国心の名のもとに

 

若者を魅了したヒトラー・ユーゲント。酒もタバコもやらず、奉仕活動に邁進したと同時に、ユダヤ人の迫害に手を貸す。模範的でありながら、判断力がない若者。果たして、私たちが求めるのはどういう世界? 間違いなく、健全でありながら異常に突き進んだ少年たちの心をさぐる。正しいこととは何か? 純粋性とは何か? 合理的で効率的とはなんなのか?と考えさせられる。ノンフィクションに近い著作。 

ナビラとマララ 「対テロ戦争」に巻き込まれた二人の少女

 

ナビラとマララ 「対テロ戦争」に巻き込まれた二人の少女

ナビラとマララ 「対テロ戦争」に巻き込まれた二人の少女

 

 爆撃によって目の前で祖母を殺され、自分も大けがを負ったアフガニスタンの少女ナビラさん。運命に負けず、教育、特に女子教育の重要性を訴えているのは、ノーベル平和賞をとったマララさんと同じ。だが、彼女を爆撃したのはアメリカのドローン。加害者が違うだけで、アメリカ議会に訴えに行ってもわずか5人しか耳を貸してくれなかった! ドローン1機で学校が10校作れる。戦争よりも、教育をという訴えに耳を貸してくれる人は少ない。「テロ」の背景にある、冷戦の歴史や植民地独立の時の大国の思惑などの事情を、きちんと子ども向けに解説した本は少ないので貴重。イスラムのテロを非難しながら、無人機で市民も多数死んでいる攻撃を続けているのでは説得力がないですよね。ちなみに、訪日したナビラさんが感銘を受けたのが広島。原爆で壊滅したのにみごとに復興を遂げた広島は、戦火に荒らされた国の未来のヴィジョンとして、とても希望を与えられるものだという。そうした目で広島をとらえたことがなかったので考えさせられた。また、広島では被害者だが、日本もアジアの国への加害者としての面を忘れてはいけないとの指摘も重要だと思った。