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しおかぜ荘の震災 車いすから見た3.11

 

藤島環は体が石化する難病にかかり徐々に体が動かなくなっていく、宮城の山の中の施設「しおかぜ荘」に入所しているが、地域で暮らしたいと思っている22歳の女子だ。そこに3.11が襲いかかる。高台にある施設は津波被害はなかったが、建物は一部壊れ、電気は止まり、職員の家族も亡くなる。何もわからない中で、食事も不自由し、入所者は不満をもらすが職員は懸命に仕事をしている。そこへ地域で暮らしていたが、家が津波浸水にあい、避難所で暮らすのは無理なトキオという車イスオヤジもやってくる。施設に入れられたことを激しく怒るトキオ。そして母親を無くして職員の兄について歩く女の子実波。ごく普通に街の中で暮らしたいというささやかな思い。だが、それが可能なのかという葛藤。この作品を主人公に同化して読んで、もちろん共感できるのだが、支えている職員の視点に立ったらどうなるのだろうと、ふと思った。家が流されたり家族が死んだりしている中で、必死に出勤している。だが、被災して来られない人もいて人手は少ない。電気や食料がどうなるかわからない、そんな中で、入所者たちは震災がなかったかのようにケンカをしたりおやつが食べられないと苦情を言ったりする。職員も被災者で、助けが必要なのに・・・。施設の職員が、元の施設の入所者を多数殺したやまゆり園の事件に思いをはせてしまった。どんなに重い障がいがある人でも、生きる権利がある。そして、もちろん体に障がいがなくても守られて生きる権利がある。主人公の環は、家族が大好きな娘を、姉を家族が支えようとしているのをわかっているが、だからこそ家にいられないと思う。家族には逃げ場がなくなるから。障がいがある人を守る立場にある人たちの逃げ場(=ゆとり)が実現されない限り、環たちは安心して地域でくらせないのかもしれない。