児童書評価のページ

新刊・古典とりまぜて児童書を評価します

子どもと本

 

子どもと本 (岩波新書)

子どもと本 (岩波新書)

 

 自分自身の子供時代の読書体験から始まり、児童図書館員を志すまで、子どもの本の重要性や昔話の大切さ、そして、児童図書館の果たす役割や、どのようにそれが進んだかをわかりやすく紹介している。これまでの著作の集大成といった作品だが、未だに確立されていない司書職制度、まして児童図書館員が認められない現状の問題点を訴えている。図書館の未来は?

ぼくの見つけた絶対値

 

ぼくの見つけた絶対値 (金原瑞人選オールタイム・ベストYA)

ぼくの見つけた絶対値 (金原瑞人選オールタイム・ベストYA)

 

 マイクの父さんは優秀な数学者だけど、現実世界に対処することが苦手でマイクのことはほとんど理解してくれず理工系に進むことを期待している。だけどマイクは実は理数系が苦手だ。ある夏休み、外国の学会に招かれた父さんは、マイクを大叔父夫妻のところにいくようにといった。そこで掘り抜き井戸のスクリューのプロジェクトがあるから、それを学べると。だが、大叔父夫妻はとんでもない年寄で、大叔母さんのモーは活動的だが、大叔父のボビーは息子の死から立ち直れずに家の中で座り込んでいて口もきかない。そして実際のプロジェクトとは、ルーマニアから男の子を養子として迎えるための活動だった。手続きや渡航の費用を稼ぐために、小さな町は協力しているが、なにしろみんな貧乏。モーたちだって電気まで止められているし、最大の協力者はホームレスのパスト。それでも、ネットを使って寄付サイトを立ち上げ、町の人たちの小さな努力をまとめるためにマイクは活動を開始する。だが、ボビーは動いてくれないし、父さんにはそうした社会活動が理解できない。外国からの養子という日本にはちょっとなじみがないテーマなので、日本の子には理解しずらいのではないだろうか? また、実は妻を亡くして打ちひしがれていたというパストとかも日本にはいないタイプかも。タイトルの「絶対値」とは、絶対値にするとマイナスもプラスとなることからきている。理数系コンプレックスだったマイクが自信をもち、コミュニケーション力を持たない父の助けになれる存在であることに誇りを持てるところは良い。

思春期をめぐる冒険 心理療法と村上春樹の世界

 

増補 思春期をめぐる冒険:心理療法と村上春樹の世界 (創元こころ文庫)
 

 心理療法士が臨床事例と村上春樹の小説世界を重ねて読み解いていく。引きこもりになったひとりの少女の事例をメインにしているが、思春期がなぜ困難なのか? 困難さは思春期でおわるのか? 人間だけの現象なのか? など疑問がわいてくる。

メディアにむしばまれる子どもたち

 

 映像メディアが子どもの脳に、どのような影響を与え、心を蝕んでいるかを論証した本。現実は、タブレットなどの普及により、ますます危険が増していることに、危機感をもって書かれている。ある意味、こうした警告は頻繁にあるため、聞き流しがち。きちんと受け止めたい。

占いってなんだろう

 

占いってなんだろう (おとなになること)

占いってなんだろう (おとなになること)

 

占いを批判した本? と思ったら、意外に占いの良さを認めてうまく付き合うことをすすめている本。このほうが子どもも納得しやすいだろう。狐狗狸さんのルーツなど、それぞれの占いの発生の歴史と科学性を検証。占い好きの子に読んで欲しい。 

エヴァがめざめるとき

 

エヴァが目ざめるとき

エヴァが目ざめるとき

 

これは、新しい創世記? 少女エヴァはひどい事故にあい体を失う。唯一無傷な脳をチンパンジーに移植し成功する。目覚めた時はチンパンジーの体で再生していた。幼いころからチンパンジー研究家の娘として育った経歴から、その過酷な運命に順応し受け入れる。折から人類は過剰な人口をかかえ、若者の謎の集団自殺が発生。自滅の道を歩み始める。人間の頭脳を活かして、周りのチンパンジーに影響を与えながら、その現実を見つめるエヴァ。あまりにもありえそうなディストピア世界は、時々読み返したくなる。 

パール街の少年たち

 

パール街の少年たち

パール街の少年たち

 

 児童文学の古典でハンガリーの作品。都会の片隅の原っぱをめぐって、少年たちがたたかう物語。フェアフレイで真剣に戦う様子は、気高ささえ漂うが、同時にそれは銀紙をまいた槍をもつごっこ遊びの世界でもある。こうした真剣なごっこ遊びは、今はなかなかできないかも。とりわけ、いつもは味噌っかす扱いのちびのネメチェクが、病気をおして真剣に戦いに参加しようとして、最後は命を落としていくようす、そしてたった一人の息子の死を目前にしながら仕事をしなければならないその父の貧しさ、せっかく守った空き地が住宅地にされてしまうラストはさすがの迫力で、貧しかった時代がもっていた悲劇的ではあるがある種の気高さが残る。