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テレジンの小さな画家たちーナチスの収容所で子どもたちは4000枚の絵をのこした

 

チェコスロバキア(現チェコ)のテレジン収容所は、「殺人工場」アウシュビッツへの中継地でもあった。10歳~15歳の子どもたちは親と引き離され、家を建てたり畑を耕したりして働かされた。疲弊しきっている子どもたちのために、収容所内の大人たちはドイツ軍に交渉し、歌やゲームの「教室」を許された。そして密かに詩や歴史、宗教、絵を教えた。ヒトラーユダヤ人から奪おうとした人間として生きること、自分の価値を見出せるのは、絵を描くこと、言葉を紡ぐこと、音楽を奏でることだからだ。画家のフリードル先生は子どもたちに、自分の作品に名前を書くように言った。そのため、絵を描いた子どもの年齢とアウシュビッツに送られた日付を知ることができる。1万5千人いたという子どもたちのうち、生き残ったのはわずか100人だった。
読み終わったとき、何をどう伝えればいいのか始めは言葉がなかった。学生時代にプラハを旅したのに、そこにあるユダヤ人の子どもたちの絵のことを知りもしなかった。絶望しかないと思っていた収容所に、子どものために命懸けで絵の材料を集める大人がいて、顔に食事用のマーガリンをぬって「選別」を生き抜いた少女がいた。4000枚の絵を残して亡くなった子どもたちや、生き延びて40年後ようやく当時の体験を話せるようになった方たちから受け渡されたものは、伝え続けなければならない。知った時から始めなければ。子どもたちの絵は現在、埼玉平和資料館にも保管されている。  (は)