児童書評価のページ

新刊・古典とりまぜて児童書を評価します

もうひとつの屋久島から(2019課題図書小学校高学年)

 

 やさしくわかりやすく書こうという著者の意図は感じるけれど、屋久島が大好きで、家族にも無理言って引き連れて移住しちゃったんだ。いろいろあったけど、出会いがあって楽しかったよ、という感想文を読んでいるような感じがした。個人的には「いや、奥さんと子どもに気を使って飛行機で行ったのに、揺れて二人が具合悪くなって、なんていうゴチャゴチャしたことはどうでもいいんですけど・・・」と突っ込みたくなりました。著者の「思い」ではなく、ノンフィクションには事実を求めたくなってしまいます。こういうタイプの文章の方が相性がいい方もいると思うので、そういう方はすんなり読めるのでしょう。とりあえず屋久島に移住した後に、歴史を知り、とりわけ島の森の大半が国有林で伐採が進められているのを食い止めて世界遺産に登録を成し遂げたところが流れのクライマックスといえますが、最初は薩摩藩、次は国という大きな力の前で、とりあえず生きていくために黙々と伐採を続けなければいけなかった島民の現実。現実に林業で生きているのに、伐採を止めていいのか? という当時の議論には深刻なものがあったと思います。たとえば、住宅建設のために、国中で木材不足が言われて各新聞が「もっと国有林を切れ」と主張していたことも屋久島の伐採の加速につながったという問題。新聞や識者でさえ目の前の問題の解決を考えると長期展望を失う、ということ。では、どうやってよりよい方向を探していくかは、単なる「切る」VS「守る」ではないグレーの動きがいろいろあったと思います。正面切って「切る」ことには№と言わないが、支援してくれた島民の思いって大切なきがします。現在の屋久島での環境保全について書かれている部分でも、想定外の観光客を迎えて規制を考え、同時に現在はその観光客が減ってきてどうしようかと迷うなど、問題が大きくなればなるほど、答えは簡単ではなくなる。実際にガイドを行っている人たちの中でもいろいろな意見があると思う。迷いながら進むこと、が大切では? 今どきだと、実際に屋久島に行ったことがある子、もしくは他の自然遺産に行ったことがある子も多いとおもうので、その辺をネタに書けば感想文はまとまるかもです。

マンザナの風にのせて(2019課題図書小学校高学年)

 

マンザナの風にのせて (文研じゅべにーる)

マンザナの風にのせて (文研じゅべにーる)

  • 作者: ロイスセパバーン,ひだかのり子,Lois Sepahban,若林千鶴
  • 出版社/メーカー: 文研出版
  • 発売日: 2018/07/01
  • メディア: 単行本
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日系アメリカ人のマナミは、両親とおじいちゃん、そして犬のトモと穏やかに島で暮らしていた。兄と姉は遠くの大学に行っている。だが日米開戦により全てが変わる。一家や近くの日系人たちは、スーツケース1個だけで砂漠のような不毛の地マンザナの収容所に入れられる。犬は置いていかなければならないが、マナミはトモを置いていくにしのびず、こっそりコートの下に隠して連れていった。だが、途中で見つかり、強制的に引き離された。置いて来れば、親切な牧師さんに引き取られるはずだったのに、どうなってしまったかわからない。自分のせいだ! マナミはショックで言葉が出なくなる。島からの親友キミも、新しい学校のロザリー先生も、家族もみんな優しいが、どうしても言葉がでない。そして、せっかく大学にいっていた兄のロンが、収容所へと戻ってくる。学校の先生になり、態度の悪い男の子たちを根気よく面倒をみていたが、収容所内では不満が爆発して騒ぎが起き、ロンが面倒をみていた不良たちが関係していたことで、困った立場に追い詰められる。大変な日常の中でも、畑を作ったり働いたりと努力を続ける家族と、後悔にさいなまれながら出口を探し続けるマナミ。タイトルは、絵の得意なマナミが、トモの絵を描いて、トモが来られるようにと願いを込めて風にとばしたところからきている。それにしても、アメリカでは戦時中に日系人を収容所に入れた歴史をきちんと日系人に謝罪し、負の歴史として児童文学でも伝えている。振り返って日本を見れば、小学校高学年向きに、戦時中に強制連行で日本に連れてこられ、その後朝鮮動乱で祖国に帰る機会を逸して在日となった韓国・朝鮮の子どもが主人公になった児童文学はあるだろうか? と考えてしまった。でも、そんな感想文を書いたら自虐史観とかいわれるのだろうか? 

かべのむこうになにがある?(2019課題図書小学校高学年)

 

かべのむこうになにがある?

かべのむこうになにがある?

 

壁に囲まれて暮らす、ねずみ、ねこ、くま、きつね、ライオンたち。という設定を見たら、連想するのは「進撃の巨人」? でも、こちらはもっと単純で、外に出たら、外は素敵な世界で、帰ってきたら実は壁なんてなかったと気付いた、という寓話風の作品。先が読めてしまうのですが、戻ってきたら壁なんて実はなかった・・・ってちょっと唐突な気がします。特に、今どきは、みんな壁を作りたがっている世界ですから、壁をそんな簡単に消せるのかな? それに、外は美しいかもしれないけど、だからと言って壁の中には何もないような切り捨て方はどうなのか? 壁の外から見たら、中こそ外なんだから! 大人は好きそうだし、「壁を越えよう!」とか書いておけばカッコイイのかもしれないけれど、個人的にはもっと深い物語がよみたい。 

ぼくとニケ(2019課題図書小学校高学年)

 

ぼくとニケ

ぼくとニケ

 

 5年生の玄太の家に、同級生の仁菜が突然捨てられた子ネコを持ち込んできた。仁菜のお母さんは、極端な猫ギライで、以前ノラ猫にエサをやっただけで激怒されたことがあるからだ。弱っていた子ネコだったが、玄太のおかあさんがすぐ病院に連れていってくれたので元気になり、玄太の家で無事に飼うことになった。実は仁菜は登校拒否で学校に行っていないのだが、毎日ニケと名づけた子ネコに会いにやってくる。ところが、ネコを見に来ていることがバレ、仁菜はおかあさんに玄太の家に出入り禁止を申し渡された。かわいく成長するニナ。心配した玄太が来られるようにしててほしいとお願いに行くと、仁菜の母親は、子どものころに安易にノラ猫を拾って飼ったが、子ネコが生まれたりネコを家の前に捨てられたりして増えた末に、最後にはみんな死なせてしまった経験を話し、安易なことをしてはいけないことを説明する。そして妹(仁菜の叔母)が保護猫を預かる活動をしていることを明かし、実態を見学に行かせてくれる。仁菜はまた玄太の家に出入りできるようになるが、その様子を同級生に目撃され、照れた玄太は、つい来るなといってしまう。だが、ニケが病気になってしまい仲直りするが、その時にはもうニナの病気は悪化し、安楽死まで考えなければならない状態になっていた! という物語。作者が獣医師だけあって、病院での対応のようすなどよく描かれているし、命の大切さやいじめをテーマに感想文を書けそうだが、物語として不自然さや読みにくさを正直感じた。例えば、語り手の「ぼく」の名前が「玄太」であることがわかるのはp44。それまで「げんちゃん」と呼ばれているので、まぁ、すぐに結びつくけど、ここは初出のところで「もう五年になったんだからげんちゃんじゃなくて、玄太君とか呼べよ(心の声)」とか入れといた方がよいのでは? また、今どきだとこうした説明もせずにどなりつける母親も多いのか? と思うけど、理由があるなら始めから説明すべき。また、玄太の母親にこれだけお世話に(夕食を食べさせてもらったり、しょっちゅう出入りさせてもらっている)のに、ありがとうや感謝を示すようすもなく、その前で娘を怒鳴りつけてるって、ヤバくない? それに、妹であるおばさんも車でひょいと会いに行けるくらいに近くに住んでるようで、性格も優しくて穏やか。特に姉とケンカしてるふうでもなさそう。母子家庭で看護師という設定なら、仁菜の母親は、同級生だったという玄太の母だけでなく無理のない範囲で妹にも助けを求めてときどきお世話になっているのがふつうじゃないのか? そして、登校拒否の娘を放置して(それどころか玄太の家という居場所を奪って)いる仁菜の母親、娘に対して何をしてるの? 看護師として勤めるには、それなりに忍耐力や社会性が必要だと思うんだけど・・・育児放棄?。結局、人間性豊かな玄太と玄太の家庭が仁菜を救ったようなものだが、実際に登校拒否の子どもが出たら、学校側からのコンタクトもありそうだけど、とふにおちませんでした。

季節のごちそうハチごはん(2019課題図書小学校中学年)

 

季節のごちそうハチごはん

季節のごちそうハチごはん

 

岐阜県の郷土料理「ヘボ」、ハチの子のお料理をたべるために、ハチを捕まえて目印をつけ、ハチ追いをして巣を見つけ、その巣を大きくするまで育ててから、巣の処理をしてハチの子を調理して食べるまでを紹介する写真絵本。今だと、子どもだけでなく、親の世代も「虫はムリ」といううちも多そうだし、こうした本も抵抗がありそう。実は長野の知人が、ハチ追いは、楽しいからやるけど、最近はいろいろおいしいものあるからヘボは食べなくなったと、本音を言っていたのもきいたことがあります。でも、まだ地域にはいろいろな食文化があると思うので、実際にそうしたことを調べたり、ヘボの甘露煮を食べてみて感じたことを書いたりなど、素直にこの本に向き合ったら、意外とたのしいと思う。 

そうだったのか! しゅんかん図鑑(2019課題図書小学校中学年)

 

そうだったのか! しゅんかん図鑑

そうだったのか! しゅんかん図鑑

 

一瞬を切り取った美しい写真集で、パラパラ見るのには楽しいけれども、写真の全体の流れが感じられず、なぜこの順序で、何を伝えたかったのだろう、すごいね、きれいだねだけだとしたら、感想文を書くのは大変かも。写真の最後のp41にシャッター速度と1秒間の枚数がかいてある。最少は1秒で240枚。最大が10,000枚。より短い瞬間でないと見ることができない世界は何なのか見直してみるとか、同じ水の写真を比べるとか、ちょっととっかかりを作らないとまとめられないのではないか? また、「わる」など動作のページと「これはなに?」のクイズのような問いかけをするページも混じっていたり、中折りで、開けると見えるようになっているが、左右が違うテーマで開けると両方の答えが書いてあったりする。こういう構成だと、よみきかせに使う場合は、どの順序でよみ、いつ開くか考えて行った方がいいだろう。写真自体は美しいけれど物足りなかった。 

かみさまにあいたい(2019課題図書小学校中学年)

 

かみさまにあいたい (ポプラ物語館)

かみさまにあいたい (ポプラ物語館)

 

 小学校3年生の雄一は、祖母のお墓で偶然竜也に出会った。授業態度が悪く乱暴な竜也はみんなから嫌われて敬遠されている。だが、竜也が一度だけ会ったおいしいカステラをくれたやさしい神さまに会いたいと思っていることを知り、死んだおばあちゃんのことを思う雄一は素直に共感したことで、二人は急接近する。高い場所でメッセージをかかげれば、神さまに見えるかもと考えた二人は、竜也の案内で街はずれの高台の廃屋に行くが、作業の途中で謎の女性が入って来て逃げだした。その後、竜也はクラスメートにからかわれてキレ、椅子で殴りかかった。間に入った雄一は足を折る大けがをするが、入院した病院の主治医佐藤先生は、あの廃屋の女性で、その病院には竜也の母も務めていること、看護師として忙しい母親にかまってもらえないことが、竜也を荒れさせていることを知る。毎日病院に来る竜也と雄一は接近する。そして、退院のお祝いに、佐藤先生はリフォームした家に遊びに誘ってくれる。おばあちゃんが認知症になってから、そんなおばあちゃんの存在を知られたくなくて隠したわだかまりのある雄一は、そこで、もう一度その後悔を乗り越えて強くなろうと決意し、おかあさんの手作りカステラを先生にだしてもらった竜也も、何かに気付いたようだった。ふたりが、元気にバーベキューに向かうところで希望を感じさせるラスト!  寂しくて荒れる竜也、認知症のおばあちゃん、そして友情というベタなネタがそろっているので、感想文は書きやすいかもしれないが、正直竜也が作り物めいて感じられた。実際に、孤独感から追い詰められて問題行動を起こす子がリアルに描かれているというより、実はいい子だけどさびしがりで乱暴な表現になっちゃう子って、こんな感じでどう? というイメージが描かれている気がした。だいたい、他の子を骨折させるケガを負わせる、というのは、どう考えても異常事態。いかにもまじめそうな竜也の母親は、必死にあやまりにくるのが当然だけど、病院で偶然に会ってやっとわかるとかある? また、そんな怪我をさせといて(いくらそのつもりがないはずみとはいえ)平然と竜也は病室に遊びに来れるのか? なんとなく不自然さを感じる作品。