今年の元日に起こった能登半島地震で焼失してしまった、輪島朝市を取材した1980年の作品。復興支援のため復刊された。
早朝の暗いうちから、自慢の品物をかついだり荷車に乗せたりして、売り子のおばあさんたちが集まってくる。方言の会話、売り声が文章になっています。
魚介、野菜、きのこ、花、干し柿がずらりと並ぶ、厳冬の朝市。海の色、空の色。しっかりほおかむりして着こんだ人たちは、どこかほかの雪深い国の風俗にも似て。 (は)
2学期が始まって1週間。4年3組の蒼太のクラスに、転校生がやってきた。エリサ・ビソカルマ。顔も髪も茶色、黒目の大きなネパールの女の子だ。
エリサは、蒼太の隣の席になったが、日本語がわからないようで、クラスになじもうとしないし、「家の都合」で休むことも多い。
そんな中、2学期の行事の1つ「弟子入り体験」で、蒼太は幼なじみのゆうりと一緒に「モモ」というレストランへ行くことに。事前の挨拶に行くと、そこはなんと、エリサのお父さんがやっているネパール料理の店だった。
慣れたようすでお客さんに対応するエリサ。ネパールのことを教えてもらった蒼太は、エリサともっと仲良くなりたいと思う。そして学級会で、誰かの失敗を笑わないクラスにしようと話し合う。
やがて迎えた公開授業。久しぶりに登校したエリサと一緒に、弟子入り体験の発表をやりきった蒼太は、勇気を出してエリサに言った。「ダンネバード」。するとエリサはにっこりして、「ダンネバード(ありがとう)」とネパール語で返してくれたのだった。
日本で増えている外国人労働者の生活や、言葉や文化の違いを知り、同じ人としてコミュニケーションすることの大切さを織りこみました。 (は)
ドゥンネは、夜ねむれないとき、ひつじを数えるかわりに、「あたしって、しあわせ!」と感じたときのことを思い出すことにしています。
通学用リュックを買ってもらって、1年生になるのがとても楽しみだったこと。
初めて友だちになったエッラとの、楽しい休み時間や給食の時間。うちでお泊まり会もしたし、時々けんかをしてもすぐ仲直り。エッラといるといつもしあわせです。
ところが、そんなエッラが遠くの町へ引っ越してしまって。ドゥンネは、悲しくて泣きました。ママが病気で「とおくへいってしまった」ときのことも思い出しました。ドゥンネはもう、ちっともしあわせではありません。
そんなある日、エッラから手紙が届きます。「ふっかつさいのお休みに、あそびにこない?」そう、いま思い出しているのは、ドゥンネにとって、一番しあわせなこと。しあわせすぎて眠れないくらい。明日はいよいよ、エッラのところへ遊びに行くのです!
ドゥンネが思い浮かべる、学校や家でのさまざまなしあわせとふしあわせは、低学年くらいの子が共感をもって読むでしょう。 (は)
江戸時代、寺子屋で学ぶ子どものようすをいきいきと物語る絵本。
9才の八助は、お寺の一室を使った寺子屋に通うところ。浪人のお侍のお師匠さまから、いろはや漢字をおそわって、筆と墨で練習します。年長の子たちは、そろばんをはじいて計算を習っています。
八ツ時(午後2時頃)になると男の子たちは帰り、女の子は残って今度は師匠の奥さまからお裁縫のけいこ。
八助は家に帰ると、習った文字で文を書き、絵をそえて、手づくりの絵草子に仕立てました。お父っつあん、おっ母さんはすっかり感心して、寺子屋は本当にありがたいねえと、思うのでした。
奥付に、「学校がもっとすきになるシリーズ」とあって、びっくり。既刊には、くすのきしげのり作「いまからともだち」「わたし、わすれものがおおいです。」などがあり、道徳化の4領域に合わせたと出版社のHPに。本書をシリーズの1冊とする意図がハテナ?です。 (は)
転校生で友だちのいないアーマ。ある日、クラスメイトのジュディに声をかけられたうれしさで、「世界一大きな人形を持ってる」と、うそを言ってしまいます。
またたく間にうわさは広まり、収穫祭のクラス発表の目玉として、その人形を展示することに。ごまかしがきかなくなったアーマは、パパのデパートへ行って、ショーウインドーのディスプレー交換中で置きっぱなしだったマネキンを盗んできてしまいます。
そして迎えた学校イベント当日。アーマは、お客さんの中に、デパートにいたディスプレー係の青年を見つけてどきっとします。もちろん青年は、「世界一大きな人形」がデパートのものと気づき、持ち去ろうとします。「どろぼう!」とみんなが叫ぶのを聞いて、アーマのとった行動とは・・・。
うそにうそがふくらんで胸がいっぱいになる苦しさ。本当のことを話したくてもそばにいないママと、仕事で忙しいパパ。はらはらしながら読み進んだ末の大団円に、ほっとします。原書は1972年。 (は)