1933年(昭和8年)に東京の下町、墨田区(本所竪川)で生まれた著者の自伝的な作品。5代前から続く竿師(釣り竿つくり)の家で3人の兄に続いて生まれた初めての女の子で後に弟が生まれる。路地で遊んだ思い出、商店街の活気、家でのささやかなお手伝いなどの日常が活き活きと描かれている。三味線の習い事に行かされるが、上手にできずに叱られてばかりなのが辛くてさぼったのがバレてしまい大騒ぎになるエピソードなど、今の子でも共感できるだろう。音痴だからダメなんだと落ち込む香葉子に、お母さんがハーモニカを教えて自信をもたせてくれるところなど、こんなお母さんがいたらいいなぁ、とあこがれる。だが、戦争が徐々に激しさを増し、暮らしは少しづつ変わっていく。ついに香葉子も縁故疎開で沼津にいる父の妹のおばにあずけられることになった。おばはとてもやさしかったが、東京を3月10日の大空襲を襲う。祖母、両親、3人の兄と1人の弟は必死で逃げるが、生き残ることができたのはすぐ上の喜兄一人だけだった。自分だけがなぜ生き残ってしまったのかと激しく自分を責める兄。わずか14歳の兄は自分で仕事を見つけて働き始めた。敗戦で叔母の家は仕事を失い、香葉子は都内の大叔母の家にあずけられるが、自宅を失ってバラックに住み食べ物にもことかく過酷な暮らしが待っていた。
作品の大部分は、幸せな子ども時代の暮らしをていねいに語っているが、だからこそ兄以外の全ての家族も家も失った悲痛な思いが際立つ。実直で善良な下町の家族を、こうした悲劇に追い込んだ戦争。もっと戦争が続いていれば、兄たちも徴兵されて、加害者になったかもしれないとも思えばさらに恐ろしい。ただ「かわいそう」だけではなく、どうすればよいのかきちんと考えたい。