難しく感じる原発問題を、なんとか自分の中でかみくだきたいと挑戦しました。
著者らは、いわゆる”核のごみ”(高レベル放射性廃棄物)の処分について検討する委員会(2010~2012)の委員長や調査員。文系理系合同のメンバーで議論して打ちだした「提言」を解説しており、すごく難しかったのですが、私なりにわかったことを3つ挙げてみます。
1つは、とにかく「時間がかかる」ということ。しかもそれが、1万年とか10万年という単位。放射能レベルが十分低くなるためにかかる時間のことで、それを何代にもわたって管理し続けなくてはなりません。そもそも、その方法や場所について決めるスタートラインに立つことすら、市民レベルの合意を形成するのに時間をかける必要がある。だから、原発推進VS反原発の構図から、「核のごみの量の問題」の議論へかえましょう、賛成でも反対でも一緒に考えましょうという、「提言」がねらいとしたことに、はっとさせられました。
もう1つわかったことは、原発の「リスク」が自己責任とセットにならないこと。原発をやめても、「核のごみ」はある。まだ生まれてもいない人々が、何代もそのリスクと向き合い続けなければならない。原発の電力を使ったわけではないのに、です。これは、福島の人たちも同じです。この、利益を享受する「受益圏」とリスクを引き受ける「受苦圏」の分離については、国外にも広がっているという事実(たとえば、オーストラリア先住民の地区でおこなわれているウラン採掘)に、空間的にも手に負えない問題、という気持ちになります。
そして3つ目。海外の考え方や姿勢に学ぶこと。イギリスでは、BSE問題をきっかけに、「専門家の助言」→「政府が決定」→「市民には結論を説明」「反対が生じるのは無理解のせいだ」という考えをかえ、市民参加で「知恵や力を合わせる」ことにしました。スウェーデンでは、核のごみの処分方法を電力会社が示さなければ、原発の設置・運転が許可されません。私たちの日本でも参考にできることがありそうです。
おもに、序章・第1章・第3章・7章からまとめてみました。高校生からおとなの方は、その1つからでも読んでみませんか。 (は)
