児童書評価のページ

新刊・古典とりまぜて児童書を評価します

彼の手は語りつぐ

 

彼の手は語りつぐ

彼の手は語りつぐ

 

家に代々語り伝えられてきた、南北戦争時の実話を元にした物語。絵本形式だが、文字が多いのでよみきかせをするのはちょっと大変だろう。冒頭「少年がひとり、戦争にいく。」と黒人の少年が出かける。「そしてまたひとり。」と、こんどは15歳の白人の少年が。そして二人は戦場で出会う。白人の少年セイことシェルダンは、足を撃たれて倒れて、黒人の少年ピンクことピンクスがそれを見つけて懸命に戦場から連れ出す。二人はピンクの家に着く。ご主人や他の奉公人は逃げ、ピンクの母だけがそこに残っていたのだ。ピンクの母の看護のおかげでセイは回復していくが、戦場に戻るのが怖くてたまらない。だがピンクは、これは自分たち黒人が自由になるための戦争だからと戻ることを決意している。ピンクは字が読め、そんな彼が羨ましいセイは、自分もリンカーンと握手した経験があることを自慢しピンクも母もセイの手に触れる。ところが南軍がやってきた。母親は二人を地下室に隠し、年寄りの黒人女は相手にされないから大丈夫といって上に残るが、兵士が通り過ぎて出てきた二人が見つけたのは撃たれて亡くなったピンクの母だった。戦場に戻る途中に二人は南軍に捕らえられ、捕虜収容所に入れられるが懸命に手をつなぐが、そこで引き離されてしまう。ピンクはすぐに処刑され、生き残ったセイはわが子にこの経験を語った。そしてこの実話が家族の物語になる。力強い絵の表現に説得力がある。撃たれて戦争が怖くてたまらなくなるセイをしっかり抱きしめてくれるピンクの母の腕。さいご、もう一度リンカーンと握手した手を握らせてくれと叫ぶピンクと、つないだ手を引きはがす腕。正義のための戦争だろうと怖かった思いを正直に子孫に語り、自分を助けてくれたピンクのことを今に伝えたセイの感謝と敬愛の深い思いを感じる。 

屋根裏部屋の秘密

 

屋根裏部屋の秘密 (偕成社文庫)

屋根裏部屋の秘密 (偕成社文庫)

 

 ゆう子と直樹の物語4作目で最終作。主題は生体実験や細菌兵器開発を行った731部隊だ。ゆう子のはとこであるみすずの祖父の死から物語は始まる。みすずは両親を早く亡くしたが、裕福な祖父の家で何不自由なく育ってきた。祖父が死ぬ間際にみすずを呼んで、みすずにゆだねた別荘の屋根裏部屋にある書類の取り扱いを巡って物語は進む。ゆう子が別荘で見た白い服の少女や、屋根裏部屋への足音などオカルト的な要素も交えながら、祖父が731部隊で細菌兵器の実験をしていた証拠書類をめぐり、それを利用しようとする製剤会社、抹消しようとする同じ部隊にいた忠男などの動きの中、最後は直樹が書類を救いだして現代史研究者に届ける。日本の加害責任を取り上げた作品とのことだが、それにしては「あんな優しいおじいちゃんが、そんなひどいことしたなんて信じられない」「でも戦争中はさからえなかった」みたいな流れでまとめられては、何がそんな狂気をおこしたのか?次回はどう防げるのかがわからないのでは? 助けを求めてあらわれる犠牲者の少女リィホァにしても、ゆう子はリイホァの味方のように描かれているが、まぎれもなく加害者としてリィホァに真剣に許しを請う側じゃないの? 『あのころはフリードリッヒがいた』のような、自分が悪に手を貸した罪を犯したという痛恨にあふれる作品は、日本ではやはり難しいのだろうか。

私のアンネ=フランク

 

私のアンネ=フランク―直樹とゆう子の物語 (偕成社文庫)

私のアンネ=フランク―直樹とゆう子の物語 (偕成社文庫)

 

 シリーズ3作目。ゆう子は中一に直樹は大学一年になっている。母親の蕗子は、ゆう子の13歳の誕生日にアンネが13歳の時から日記をつけ始めたからと言って『アンネの日記』の本と日記帳をプレゼントする。ゆう子は大人になりたくなくて、怖いことはキライな子。本は読む気がしないが、アンネに呼びかける形で日記をつけ始める。正直言って、ゆう子のキャラクターが納得できなかった。自分の中学生時代や、うちの子の中学生時代を振り返ると大人になりたくてたまらなかったから。ちょっとゆう子の無邪気がわざとらしく感じた。蕗子は、自分とアンネが同じ年だと途中で気付き、チャンスをつかんでアウシュビッツへの旅に向かう。1978年の元号法制化など政治的な事件も背景に、右傾化への危機感が蕗子や直樹が強く語っている。だが蕗子の人気歌手がハーゲンクロイツをファッションとして使ったことに対しての激怒など、ちょっと説明を加えないとわかりにくく感じる。松谷氏の意図は、無邪気なゆう子が、その無知を卒業する(この本の最後でアンネ・フランク展に行って、アンネが実在の女の子だと気付く)という流れかとも思うが、全体がゆう子ではなく蕗子で書くべきであったように思われた。児童書だから子どもを主人公にと思ったのだろうか? だが、蕗子が主人公になったら物語にはならなかったろう。旅行記エッセイ? だが少なくともその方が素直な作品になったと思う。

死の国からのバトン

 

死の国からのバトン (少年少女創作文学)

死の国からのバトン (少年少女創作文学)

 

 シリーズ2作目。今回の主役は小学校6年生になった直樹、そして水俣病を思わせる公害病食品添加物の問題、過去の農民の苦しみなどが扱われている。物語は猫のルウのようすがおかしくなって死んでしまうところから幕を開ける。直後、直樹とゆう子が父方の祖父の家に遊びに行き、そこで直樹が五百羅漢と「あくにんのはか」と書かれた不思議な墓を見る。直樹はゆう子を助けて崖から落ち、意識がなくなった夢の中で直七という男のこと友達になり直右衛門じいさんの家に遊びに行った。直右衛門は、荒れ地だったこの地に山から水をひく大工事を苦心して成功させた人物だった。直樹は死んだルウと出会えるときいた山のばばさに会いにいこうとするなかで、過去の村人と出会う。当時の時代背景を反映したネコがおかしくなる病とは水俣病と思われる病気がでてくるが病名は書いてない。逆に豆腐の添加物AF2でおかしくなったという親戚がでてくるが、AF2になじみがないのでネットで調べてその事件がわかった。凶作で飢え死にした子どもや、まだ少年の身で直訴して処刑された直七など、さまざまな物語が重ねられ伝説やわらべうたのイメージが魅力ではあるが、今読むと子どもには社会的背景がちょっとわかりにくいだろう。私が一番気になったのは、直樹がけがで東京に帰れず、テレビを見たがって、テレビをつけると周囲に無関心で取り付かれたようにテレビを見ているというシーン。これは母親松谷みよ子のテレビ批判の視点だと思うが、主人公直樹と同化して読み進もうとする子はどう感じるだろう? 物語であるよりも、社会批判風にされては読む方にはちょっとつらい。

隣の家の出来事

 

隣の家の出来事 (1980年) (あたらしい文学)

隣の家の出来事 (1980年) (あたらしい文学)

 

 小さな男の子が殺された、しかも血を抜かれて! この残酷な事件の犯人捜しの中で、人々は近所に住むユダヤ人一家を疑い始める。30年以上もまじめに暮らし、アリバイもあるというのに。犯人を見つけようとする焦り、目立ちたいばかりに架空の目撃談を語る男。周りからの圧力で、アリバイ証言を取り下げてしまう恋人だったはずの青年。第2次世界大戦前のドイツの田舎町を舞台に、人間の偏見の恐ろしさを描いた佳作。

運命の子供たち

 

運命の子供たち (心の児童文学館シリーズ (3-2))

運命の子供たち (心の児童文学館シリーズ (3-2))

 

 トルコのウィーン包囲戦という歴史的出来事を1682年8月6日~1683年9月12日までの期間の中で描く。作者は1929年生まれ、戦時下を知っているせいだろうか? この作品には単なる戦争の悲惨を越えた妙なリアリティがある。攻める側、包囲される側両方の心の動きが語られている。戦争の嵐の中で、真剣に兵士として生きている少年の姿、包囲下という非日常によって通常の規制が破られ、一種の解放感を味わう若者たちの姿など、ここにあるのは続く「生活」の問題であり、だからこそこの作品が私たちをひきつけるのかもしれない。

ぼくたちは幽霊じゃない

 

ぼくたちは幽霊じゃない (STAMP BOOKS)

ぼくたちは幽霊じゃない (STAMP BOOKS)

 

 アルバニアで仕事が見つからず、イタリアに密入国してミラノで仕事をしている父さん。母さんは父さんのところに行くために7歳のぼくことヴィキと5歳の妹ブルニルダを連れ、海を越える。海を渡る不法入国だ。ギリギリまで「客」を乗せ、海が荒れると沈没を避けるため、他に知り合いがいない乗客の一人を海に放り込む斡旋屋。やっとたどりついたイタリアで、幸いに親切な老夫婦に助けられるが、父さんが住むミラノにたどり着くと、そこは街はずれのバラックで、父と叔父は水道さえない暮らしをしていた。不法滞在の弱みに付け込み、給料日に逮捕しては働いて手に入れた金を巻き上げる警官。手付金をちょろまかす不動産屋。そうした中でも、公立学校の先生たちは、全ての子どもの教育の権利を守るためにヴィキを受入れてくれる。執拗な不法移民取締り、ちゃんと仕事をして暮らしていきたいだけなのにという嘆き。ヴィキたちは、街を歩くとハンドバックをヴィキたちと反対側に持ち変える人々に出会う。実際ヨーロッパに旅行に行く時の注意で「外国人のすり集団に注意」と言われるし、ものごいもいる。実際ここまで過酷に扱われたら、反撃したくなるのも当然ではないだろうか? やけになってひったくりをしたり、盗む人間が出てきてもおかしくない(ヴィキたちは耐えているが)。そして外国人はコワイという感覚の悪循環がうまれる。ヴィキは、イタリアのテレビを見てネコに銀の皿で缶詰を食べさせている国なら、自分たちも豊かに暮らせるだろうと信じてやってきて、現実とのギャップにショックを受ける。この物語は実話をもとにしたものだがいうが、日本でも現在起こっている出来事かもしれない。ヴィキのために、私たちは何ができるのだろう?