児童書評価のページ

新刊・古典とりまぜて児童書を評価します

八助の寺子屋日記 その一話

 

江戸時代、寺子屋で学ぶ子どものようすをいきいきと物語る絵本。

9才の八助は、お寺の一室を使った寺子屋に通うところ。浪人のお侍のお師匠さまから、いろはや漢字をおそわって、筆と墨で練習します。年長の子たちは、そろばんをはじいて計算を習っています。

八ツ時(午後2時頃)になると男の子たちは帰り、女の子は残って今度は師匠の奥さまからお裁縫のけいこ。

八助は家に帰ると、習った文字で文を書き、絵をそえて、手づくりの絵草子に仕立てました。お父っつあん、おっ母さんはすっかり感心して、寺子屋は本当にありがたいねえと、思うのでした。

奥付に、「学校がもっとすきになるシリーズ」とあって、びっくり。既刊には、くすのきしげのり作「いまからともだち」「わたし、わすれものがおおいです。」などがあり、道徳化の4領域に合わせたと出版社のHPに。本書をシリーズの1冊とする意図がハテナ?です。 (は)

アーマのうそ

 

転校生で友だちのいないアーマ。ある日、クラスメイトのジュディに声をかけられたうれしさで、「世界一大きな人形を持ってる」と、うそを言ってしまいます。

またたく間にうわさは広まり、収穫祭のクラス発表の目玉として、その人形を展示することに。ごまかしがきかなくなったアーマは、パパのデパートへ行って、ショーウインドーのディスプレー交換中で置きっぱなしだったマネキンを盗んできてしまいます。

そして迎えた学校イベント当日。アーマは、お客さんの中に、デパートにいたディスプレー係の青年を見つけてどきっとします。もちろん青年は、「世界一大きな人形」がデパートのものと気づき、持ち去ろうとします。「どろぼう!」とみんなが叫ぶのを聞いて、アーマのとった行動とは・・・。

うそにうそがふくらんで胸がいっぱいになる苦しさ。本当のことを話したくてもそばにいないママと、仕事で忙しいパパ。はらはらしながら読み進んだ末の大団円に、ほっとします。原書は1972年。 (は)

ダッドリーくんの12のおはなし

 

ローベルの絵がとても魅力的で、物語もひょうひょうとした感じで楽しい。たとえば「ダッドリーくんとおばあさん」では、ダッドリーくんが自転車でおばあさんにぶつかってしまうのだが、飛び降りてすぐにあやまると「べつにいいのよ」といって、おばあさんは素早くダッドリーくんの自転車に乗って行ってしまうのだ! まさかの展開がとても楽しい。だが、正直、活字はもう少し大きい方が良いと思ったのは老眼のせい? なんだか字が詰まって読みにくい感じがした。自分で読むとしたら2.3年生くらいかと思うが、この文字が詰まった感じはちょっと敬遠されるかも。そこだけ残念。

チベットのむかしばなし しかばねの物語

 

自分が犯した罪滅ぼしのために、幸いをもたらすしかばねを連れてくるようにいわれたトンドゥプ。だが、帰るまで一言も口を聞いてはいけない。しかし、しかばねの話があまりにおもしろいために、つい言葉がでてしまい、何度もやり直すことになる。理不尽な王の挑戦を知恵で出し抜く「テンセル」、人からどろぼうして金持ちになった男を貧乏な若者が逆襲する「金持ちのどろぼう」のように知恵で勝利するはなしや、カエル息子がお姫さまを嫁にすると言い、みごと末のやさしいお姫さまを手に入れる「カエルとおひめさま」、その他類話もあるが個性を感じる昔話集。読んであげれば、4.5歳でも楽しめると思う。

なんにもないない

  • 『なんにもないない』ワンダ・ガアク作 ブック・グローブ社 (1994/5/1) ISBN: 978-4938624125

三匹の犬小屋の真ん中にいたのは見えない犬。兄さん犬は、見えない「なんにもないない」を大切にしてくれましたが、ある時、子どもたちがやってきて二匹の兄さんたちを自分たちの犬としてかわいがるために、連れて行ってしまいます。見えない「なんにもないない」には、気が付かないで! 自分もかわいがって欲しいと思ってついていきますが、途中で眠ってしまって兄さんたちの行先がわからなくなってしまいます。見えるようになって、かわいがってもらいたい。そんな時に森のもにしりがらすが「てんてこまいまい ぐるぐるまい」と呪文をとなえると9日で見えるようになると教えてくれます。毎日少しづつみえるようになり、ついに見えるようになったとき、子どもたちや兄さん犬と再会してハッピーエンドとなります。言葉の響きが楽しい素朴な雰囲気の絵本。むしろ4.5歳位の子どもの方が、見えない「なんにもないない」の姿を見てくれるのかも、と思った。

「100まんびきのねこ」たちはどこから生まれ、どこへいったの

 

「100まんびきのねこ」の作者ワンダの評伝。長女として、両親が早く亡くなったのち、家計を支えるために苦労した事。だが、同時に固いきずなの兄弟たち。努力した彼女に差し出された援助。そして「100まんびきのねこ」の大成功へ。彼女が描いた絵が収録されているが、絵本とは違いがありつつ、共通点も感じおもしろかった。それにしても15歳からまがいなりにもおはなしやイラストで稼ぐようになるというのはすごい。芸術のセンスのある両親の下で生れ、才能を伸ばされる育て方をしてもらったということ、家計で苦労をしているとはいえ、教育のない貧民の暮らしではなかったことが才能を開花させられる条件なのかもしれないと感じた。

シンデレラはどこへいったのか—少女小説と『ジェイン・エア』

 

虐げられているが心優しく美しい少女が王子さまと出会うシンデレラ。このシンデレラとは違う道筋をたどって幸せをつかむ女性の物語『ジェイン・エア』。美しくなく、気性が激しい少女が、学問など自力の努力で自立し、対等の立場で男性と結ばれる。この物語が少女小説に与えた影響として、『若草物語』『リンバロストの乙女』『あしながおじさん』『赤毛のアン』『木曜日の子どもたち』で検証されている。納得させられる内容で、とても面白かった。そして、ふと思った、現在のラノベでもシンデレラ型とジェイン・エア型があるかも。『わたしの幸せな結婚』顎木 あくみ著は、継母と妹に虐げられていた娘が結婚で幸せになる(その後、力を発揮するところが違うが、力を発揮しても、控えめでつくす!)シンデレラ型で、こうしたパターンは量産されている。対していわゆる悪役令嬢モノは、ジェイン・エア型かも。主人公は美女だとしても否定される悪女顔で、かわいげがなくて勝気、追放されるのを見越して自立し、お金をもうけて自活するために頑張る。ラノベだと、その後、イケ面男性と結ばれるけど、相手もクセのある正統派王子ではないパターンが多い。などと妄想してしまった。物語の系譜の裾野は広い気がした。