寺子屋に通って3年がたつ八助は10才。寝坊してあわてて出かける途中、縄でしばられた河童を助けて遅刻。お師匠さまに言い訳をすると、「河童とな!わしは天狗に会った事があるぞ」とふっかけられ、もっとびっくり。
さて今日は、伊能忠敬の「大日本沿海輿地全図」を筆写して、日本の形を習います。
そんな折、お師匠さまのもとへ、京都から使いの者がやって来て、新しい時代をひらくために働いてくると、師匠は旅立ってゆきます。八助たちは、若いお坊さんを新しい師匠にむかえ、学びを続けるのでした。 (は)
江戸時代、寺子屋で学ぶ子どものようすをいきいきと物語る絵本。
9才の八助は、お寺の一室を使った寺子屋に通うところ。浪人のお侍のお師匠さまから、いろはや漢字をおそわって、筆と墨で練習します。年長の子たちは、そろばんをはじいて計算を習っています。
八ツ時(午後2時頃)になると男の子たちは帰り、女の子は残って今度は師匠の奥さまからお裁縫のけいこ。
八助は家に帰ると、習った文字で文を書き、絵をそえて、手づくりの絵草子に仕立てました。お父っつあん、おっ母さんはすっかり感心して、寺子屋は本当にありがたいねえと、思うのでした。
奥付に、「学校がもっとすきになるシリーズ」とあって、びっくり。既刊には、くすのきしげのり作「いまからともだち」「わたし、わすれものがおおいです。」などがあり、道徳化の4領域に合わせたと出版社のHPに。本書をシリーズの1冊とする意図がハテナ?です。 (は)
転校生で友だちのいないアーマ。ある日、クラスメイトのジュディに声をかけられたうれしさで、「世界一大きな人形を持ってる」と、うそを言ってしまいます。
またたく間にうわさは広まり、収穫祭のクラス発表の目玉として、その人形を展示することに。ごまかしがきかなくなったアーマは、パパのデパートへ行って、ショーウインドーのディスプレー交換中で置きっぱなしだったマネキンを盗んできてしまいます。
そして迎えた学校イベント当日。アーマは、お客さんの中に、デパートにいたディスプレー係の青年を見つけてどきっとします。もちろん青年は、「世界一大きな人形」がデパートのものと気づき、持ち去ろうとします。「どろぼう!」とみんなが叫ぶのを聞いて、アーマのとった行動とは・・・。
うそにうそがふくらんで胸がいっぱいになる苦しさ。本当のことを話したくてもそばにいないママと、仕事で忙しいパパ。はらはらしながら読み進んだ末の大団円に、ほっとします。原書は1972年。 (は)
自分が犯した罪滅ぼしのために、幸いをもたらすしかばねを連れてくるようにいわれたトンドゥプ。だが、帰るまで一言も口を聞いてはいけない。しかし、しかばねの話があまりにおもしろいために、つい言葉がでてしまい、何度もやり直すことになる。理不尽な王の挑戦を知恵で出し抜く「テンセル」、人からどろぼうして金持ちになった男を貧乏な若者が逆襲する「金持ちのどろぼう」のように知恵で勝利するはなしや、カエル息子がお姫さまを嫁にすると言い、みごと末のやさしいお姫さまを手に入れる「カエルとおひめさま」、その他類話もあるが個性を感じる昔話集。読んであげれば、4.5歳でも楽しめると思う。
三匹の犬小屋の真ん中にいたのは見えない犬。兄さん犬は、見えない「なんにもないない」を大切にしてくれましたが、ある時、子どもたちがやってきて二匹の兄さんたちを自分たちの犬としてかわいがるために、連れて行ってしまいます。見えない「なんにもないない」には、気が付かないで! 自分もかわいがって欲しいと思ってついていきますが、途中で眠ってしまって兄さんたちの行先がわからなくなってしまいます。見えるようになって、かわいがってもらいたい。そんな時に森のもにしりがらすが「てんてこまいまい ぐるぐるまい」と呪文をとなえると9日で見えるようになると教えてくれます。毎日少しづつみえるようになり、ついに見えるようになったとき、子どもたちや兄さん犬と再会してハッピーエンドとなります。言葉の響きが楽しい素朴な雰囲気の絵本。むしろ4.5歳位の子どもの方が、見えない「なんにもないない」の姿を見てくれるのかも、と思った。
「100まんびきのねこ」の作者ワンダの評伝。長女として、両親が早く亡くなったのち、家計を支えるために苦労した事。だが、同時に固いきずなの兄弟たち。努力した彼女に差し出された援助。そして「100まんびきのねこ」の大成功へ。彼女が描いた絵が収録されているが、絵本とは違いがありつつ、共通点も感じおもしろかった。それにしても15歳からまがいなりにもおはなしやイラストで稼ぐようになるというのはすごい。芸術のセンスのある両親の下で生れ、才能を伸ばされる育て方をしてもらったということ、家計で苦労をしているとはいえ、教育のない貧民の暮らしではなかったことが才能を開花させられる条件なのかもしれないと感じた。