児童書評価のページ

新刊・古典とりまぜて児童書を評価します

海にはワニがいる

 

海にはワニがいる

海にはワニがいる

 

 アフガニスタンの小さな村で暮らしていたエナヤット。だが、そこではハザラ人でシーア派だという人種と宗教で差別されていた。父親はパシュトン人に殺され、エナヤットも彼らに連れ去られそうになっていた。彼を救うため、母親は10歳の彼を連れてパキスタンに行き、そこで彼を残して弟たちのいる家に戻った。エナヤットは宿で働き、次には市場で働くが暮らしていくのは難しい。イラン、トルコ、ギリシャ、そしてついにイタリアへと移り住み、やっとイタリアで政治難民としての認定を受けて故郷の母親と連絡をとることができたのだが、それは母と別れて8年後のことだった。過酷な境遇の中で、生きていこうと順応し、努力し、頭を使うエナヤット。どこへ行っても安い賃金で仕事をさせられ、なんとかしてもう少しましな仕事にありつきたいと願う様子は、ぜいたくとは言えず、ごくささやかな望みといえるだろう。彼は積極的で、言葉を覚え、学校に行き仕事をしたいと願って行動する。その姿勢が政治難民認定につながっていったといえる。いわば、これだけガッツがある子なら報われてもいいのではないかと思わされる。だが、さらに考えればエナヤットのようにしっかりしていなくても、私たちはふだん普通に教育を受けて暮らせる。実話を元にしたこの物語を読みながら、生まれた場所だけで、ごく普通の暮らしができなくなるという問題を考えたい。

風がはこんだ物語

 

風がはこんだ物語

風がはこんだ物語

 

 寓話のような雰囲気の物語。ボートに乗った一団体の中に一人の少年ラミがいる。エンジンがとまり、海図もオールもない船内で先は見えない。ラミが抱えているのはバイオリン。みんなにせがまれて、ラミはバイオリンを奏でながらモンゴルに伝わる一頭の白い馬と少年の物語を語り始める。乗り合わせたメンバーは、自分たちの境遇をこの物語に重ねながら、この物語を忘れずに未来に伝えていこうという希望を抱いていく。そう、この物語は『スーホの白い馬』 

スーホの白い馬 (日本傑作絵本シリーズ)

スーホの白い馬 (日本傑作絵本シリーズ)

 

 ただ、この物語の中では悪者は王ではなく地主となり、地主は馬頭琴の音から逃れて行方がわからなくなったことになっている。リアルというより、イメージの世界なので難民問題を感情で訴えた作品といえるだろう。

おちばのしたをのぞいてみたら・・・

 

おちばのしたをのぞいてみたら… (はっけんたんけんえほん)

おちばのしたをのぞいてみたら… (はっけんたんけんえほん)

 

 落ち葉の下にいる小さな生き物たちを紹介する写真絵本。ダンゴムシはともかく、ヤスデの仲間やらワラジムシはちょっと不気味なのでキャーキャー言いつつ喜びそう。ミミズの卵や卵からミミズがうまれるところ、知らなかったいろいろな小さな生き物たちのユニークな姿が面白い。これら小さな生き物たちを「むし」とまとめて言ってしまうのはちょっと抵抗があるが、小さい子にわかりやすい総称はやはりむしかもしれない。生き物たちが落ち葉を食べて糞をして豊かな土壌をつくっていくようすまで紹介しているのがよい。最後に、生き物の本当の大きさについてきちんと書かれているので、大きな写真を見返しながら「本当はこんなに小さいんだね。」と子どもたちと確認できるのも良い。

ふたりママの家で

 

ふたりママの家で (PRIDE叢書)

ふたりママの家で (PRIDE叢書)

 

 女性同士のカップルの元に養子に来たわたしと弟のウィル、妹のミリー。血のつながりはないけれど愛情にあふれた5人家族の物語。
おじいちゃんおばあちゃんや近所の人たちと、料理をしたりパーティーをしたり。様々な違いを受け入れ、違うことは素晴らしいとママたちは教えてくれる。ただ1人だけ、ママが2人ということにいい顔をしない人がいて、ママは「あの人は怖がっているだけよ」「わからないものが怖いの」と、子どもに言って聞かせる。やがて子どもたちはそれぞれのパートナーを得て独立し、ママ2人も亡くなるが、ママたちの家に暮らすようになったウィル一家の元に家族が集まることで、ママたちを思い穏やかな気持ちになれる、というラスト。
初めに挿絵だけを見ていったとき、笑顔ばかりが描かれているので、そのはじけるエネルギーに食傷気味になったのだが。わたしをどうやって養子に迎えたかをママたちが話す冒頭の言葉・・・「暑く乾いた砂漠を歩いて、荒れた海を渡って、高い山を飛び越えて、嵐の中をずんずん歩いた」を読んだとき、同姓カップルが家族をつくることの困難さは、大げさでなく本当にそうにちがいないと思ったら、全編にあふれる笑顔に心から納得できた。

おんなのこってなあに?おとこのこってなあに?

 

おんなのこって なあに?おとこのこって なあに? (福音館のかがくのほん)

おんなのこって なあに?おとこのこって なあに? (福音館のかがくのほん)

 

 女と男の違いは性器の違いだけで、髪型や服装、名前、おしゃれをするかしないか、泣くか泣かないか・・・などで判断する性差は、社会がつくったもの。というメッセージを、いろんな姿の女の子や男の子、裸の成人女性・男性の写真と言葉で示す。でも、性同一性障害やLGBTについて考えると、
「あかちゃんって おんなのこか おとこのこか どっちかだよ。」
「もしあかちゃんが おんなのこなら これからもずーっとおんなのこ」
という文章は、違和感というか間違っている。
性を決めるのは体の性ではなく、心の性だということが浸透してきているので、社会的性差だけでなく性の多様性に気が付けて、子どもが自分を認められる文章が必要だ。

あかちゃんはどこからきたの

 

 哺乳類や魚類・鳥類の卵子精子、交尾についてじっくり説明し、哺乳類としての人間の性交、受精、胎児の成長、出産、子育ての姿を示す。性交や出産の場面も絵にしているが、動物を入り口にしたせいか、なんとなくオブラートに包まれている感じがぬぐえない。最後に、人間が動物と違うのは、「やさしさや思いやり、たすけあうこころ」があり、子どもを「責任感」をもって育てることだという文章が、唐突に出てきて終わる。長年、小中高校生や教師を対象に性教育を実践してきた著者が、子どもに強く伝えたいことだというが、言葉だけ出しても伝わらない。授業では、著者の問いかけがあり、それに対して子どもが反応し考え、発言したり話し合ったりする時間があったうえで、責任感という言葉につながるのだろう。絵本としては科学的内容にかぎり、責任という言葉はない方がいいと思った。

あかちゃんはどこから?

 

あかちゃんはどこから? (えほんとなかよし)

あかちゃんはどこから? (えほんとなかよし)

 

 冒頭「おうちのかたへ」のメッセージがよい。「赤ちゃんはどこからきたの?」という子どもの疑問を入り口に、性について本当のことを勇気をもって語り、やがて社会のあり方まで考え話し合える「基盤」をつくろうと、呼びかける。性の話から、性役割、女性の権利、性的偏見、家族のかたちなど、様々な価値観の理解につながるよう願いがこめられている。
本文では、男女の外性器の形は1人ひとりちがうことを絵で示したり、性交や出産の子どもが知りたい部分もはっきり描いていたり、それがさわやかに受け入れられる。内性器の名前や子宮の中にいる胎児の状態もわかりやすい。肌の色が違うなど人種の違うカップルもいる。家庭では、下のきょうだいが生まれる年齢あたりから、わからない言葉があっても大人が読んであげるといいと思う。最後のページは、成長の喜びも感じられる。