児童書評価のページ

新刊・古典とりまぜて児童書を評価します

北極と南極の「へえ~」くらべてわかる地球のこと(2020課題図書 小学校中学年の部)

 

南極と北極を対比させながら、それぞれがどういうところかを紹介するノンフィクション。暖かい海流のおかげで、それなりに人間が住める場所もある北極圏に対し、他の大陸から離れマイナス89.2度という記録まである南極。そしてそれぞれの生き物の紹介が続く。さらに南極の昭和基地での暮らし、北極で営まれてきた伝統的な暮らしが紹介されている。漠然と知っているつもりだった地球温暖化や海面上昇についてもきちんと解説があったが、北極の氷がとけても海面上昇にはならないことを知りビックリ。でも、確かに氷を浮かべたコップの氷が融けても水はあふれません! ではなぜ? それは読んで確かめてください。なんとなくのイメージではなく、きちんと事実を知ること。一つの変化がどのような変化の連鎖を起こすのかを理解することの重要性を再確認させられます。科学の本ですが、クイズを入れてみたりと親しみやすい雰囲気で構成されています。物語が苦手な子などは、こういう本を読み、実際の北極や南極のようすを調べて、自由研究っぽい感想文でまとめてみるのも良いかもしれませんね。 

ながーい5ふん みじかい5ふん (2020課題図書 小学校低学年の部)

 

 「あと5ふんででかけるぞ!」の5分は「5ふんじゃ たりない」。でも「5ふんですむから」と待つ5分は「5ふんもかかるのー?」の5分。といった形で、こういうことってあるよねと、くすっと笑う感じの絵本。自分の5分体験と絡めてそれなりに感想文も書けそうな気がする。だけど、ただそれだけ。この「5ふん」とは、科学的に正確な5分で比較しているのだろうか? 「少し待ってて」の比喩としての時間であろう。また、仮に正確な5分を長く感じる、短く感じるとしたらその理由を見つめてみるとどうなるんだろう? どうしてこの5分は足りないの? という視点で感想文を展開する? 全体的に大人目線のノリで描かれているような感じで、低学年の子は、意外とまじめだから、まじめにこの絵本と向かい合おうとしたら苦労するかもしれない。これで感想文を書くなら、読み込まないでノリで書くのが正解かもしれませんね。

タヌキのきょうしつ (2020課題図書 小学校低学年の部)

 

タヌキのきょうしつ

タヌキのきょうしつ

  • 作者:山下明生
  • 発売日: 2019/07/16
  • メディア: 単行本
 

明治時代。小学校ができ、その校庭のクロガネモチの木の根元にタヌキの一家が住みついた。タヌキのお父さんは学校をのぞき、勉強に夢中になって夜の学校で、子だぬきに勉強を教えるようになりました。ところがそれが人間に知られて話題となり、教室から姿を消します。やがて戦争がはじまり、タヌキの姿も消えた広島に原爆が落ちた。廃墟になった広島がよみがえったころ、タヌキが交通事故にあうという新聞記事が出た。そして「たぬきのたまご」というタヌキ色に染みた卵がウリのおでんやができた。そこに5人の子どもがその卵を買いに来た。その子たちのお金は葉っぱでした、というお話。作者の山下先生、82~3歳で新作とはすごいですが、自分の思いで書いているようで、子どもに伝わる工夫が弱いと思いました。「タヌキ」「クロガネモチ」「原爆」「戦後復興」と要素を盛り込み過ぎで、予備知識の少ない小学校低学年はついていけるのでしょうか?スタート明治6年。アイウエオを教えていると書いてあったですが本当?とググったところ明治8年のイロハの教科書がでてきました。確かに明治以降アイウエオに移行はしていったそうですが、明治の小学校の教育内容はちゃんと調べたのだろか?とつい思いました。また、タヌキのお父さんは、勉強の何に夢中になって、タヌキの子どもたちはなぜイイコに勉強したのでしょう? これも謎。教頭先生が目撃したせいでタヌキの教室が広まった反省で、先生は誰にも言わずにタヌキの巣に学用品をさしいれして応援した、とあるのに、戦時中、教頭先生の息子ヘイタが、タヌキにおみやげ(としか書いてないが、前を見ると学用品とわかる)を置いてももっていくものはいなくなったとあるけど、息子のヘイタ以外には誰にも、と書くべきだったのでは? とまた首をひねりました。そして戦後タヌキが戻ったことを車にはねられるという悲劇で知るというのも、これで「戻ってよかった」といえるの? 等々、すいません、わたしはあちこちでつっかかりました。原爆を扱いたかったのだろうけれど、原爆の描写で「ひろしま城のへいたいも・・・みんなふっとばされました」ここの兵隊はくろこげの市民とはあえて別の描写にしたのか? 子どもたちがわかる具体的な描写で(たとえば、字が読めるとどんないいことがあるとわかって感動したのかとか)書いてもらった方が良かったと思います。夏休みですから、戦争はいけないと思いました。うちの学校にもタヌキがくるといい。など、何となくの感想文は書けると思いますが。 

飛ぶための百歩(2020課題図書 小学校高学年の部)

 

飛ぶための百歩

飛ぶための百歩

 

 ルーチョは、勝ち気な少年だ。五歳の時に視力を失ってしまったが、感が鋭く、いろいろなことを自分でちゃんとできる。おばのベアトリーチェは、そんな甥を小さい時からかわいがっていて、今は一緒に山歩きを楽しんでいる。ただ一つの心配は、プライドが高いルーチョがなかなか他の人の助けを求めないことだった。今回の山歩きでは、ベアトリーチェのなじみの山小屋「百歩」を訪れた。小屋の主人の孫で遊びに来ていたキアーラは、感性が鋭い分、過敏でなかなか人と親しくなれない少女だが、目が見えないことを感じさせないような明るいルーチョと親しくなっていった。この山ではちょうどワシが子育てをしていた。山岳ガイドティッツアーノの誘いで、ベアトリーチャ、ルーチョ、キアーラはワシの巣を観察できるポイントに行くこととなった。だが、ちょうどその時、貴重なヒナを攫って高く売ろうとする密売屋の二人組が山に入っていた。悠々と飛ぶワシの両親と、守られいるヒナ。山を楽しむ一行、密売屋の悪だくみが三つ巴になって物語が進んでいく。当初目が見えないルーチョが山を歩けるのか? と不安に思うティッツアーノや、目が見えない人間にはどう接すればいいのかと迷うキアーラなど、私たちと等身大の登場人物たちの姿をみることで、私たち自身の差別的な偏見を自覚させられる。同時に、ルーチョ自身が素直に必要な時は他人の援助を受け入れられるほど大人になっていくようすが魅力的。密売屋の発見や、ヒナを巣に戻す奮闘の中のルーチョの活躍が、ちゃんと伏線に沿っていて思わず「やったね!」と彼に微笑みかけたくなった。

ヒロシマ 消えたかぞく(2020課題図書 小学校高学年の部)

 

ヒロシマ 消えたかぞく (ポプラ社の絵本 67)

ヒロシマ 消えたかぞく (ポプラ社の絵本 67)

  • 作者:指田 和
  • 発売日: 2019/07/05
  • メディア: 大型本
 

 広島で床屋を営みながら、幸せに生きていた一家の実際の写真の記録。写真の中の子どもたちは表情豊かで、生き生きとして楽しそうだ。戦中にこれほどの写真を撮って残した父親は、経済的にも恵まれていて、センスがあったのだろう。特に戦争の影さえ感じさせないような楽し気な写真。そして、この一家が広島に落とされた原爆のために全員なくなったことが最後に明かされる。戦争とは、ある意味特殊な状況ではなくて、日常のすぐ隣にある恐ろしさを私たちに教えてくれる。この本を見て、ごく普通に楽しく生きようとしていた家族が、なぜ死ななければならなかったのか? という問いに直面するとしたら、それは過去ではなく現在とつながっていることだろう。なぜなら戦争は今でも無くなっていない。日本の中でも沖縄には米軍基地があるし、戦場になって殺されてしまう子どもや、難民となる家族もいる。かわいそうから一歩進んで、自分はどうすればよいのか考えたい。

風を切って走りたい!(2020課題図書 小学校高学年の部)

 

堀田健一さんは、ものつくりが好きで、手先が器用。たまたま小学生の息子が、学校で自転車は禁止だと言われた、先生は三輪車なら言いという。というのを聞いて、小学生が乗れるくらい大きくて、踏み込みで進む特別な三輪車を作りました。たまたまそれを見た足の不自由な女性から、これなら自分にも乗れるからぜひ作って欲しいと頼まれる。迷った末に引き受けたことがきっかけで、その後も依頼が来て、ついに体が不自由な人のための特注自転車づくりをするようになった人生を取材して紹介した本。ものづくり、思いやりと読書感想文として書きやすそうな要素が多い。だが、ふと考えてしまった。金銭的には報われずに苦労し、なかなか社会的な評価もされなかった堀田さん。現在も後継者がいないという。現在は、やっと評価もされ、購入補助金も得られるようになったというのに。必要とされるとは言っても、あまりに特殊な需要が商売になるのが難しいということなのだろう。こうした福祉的な仕事は、金銭的には恵まれないことが多い。ひょっとしたら、なぜ人の為になる仕事をしても金銭的に報われないのか(それは、結局、後継者がいなくて消えていくことになる)。それを変えるにはどうしたらいいのか? 間違いなく役立つけれど、大量生産できず、購入者に大きな負担をかけるわけにはいかないものを仕事にはできないのか? という切り口で考えを進めていったら、一味違った(「堀田さんはすごい」だけではない)感想文になるかもしれませんね。 

月と珊瑚(2020課題図書 小学校高学年の部)

 

月と珊瑚 (文学の扉)

月と珊瑚 (文学の扉)

 

 沖縄に住む小学校6年の珊瑚は、ろくに漢字も書けないと東京から転校してきた詩音にばかにされ、漢字の練習を兼ねて日記を書き始める。その日記がこの物語だ。珊瑚はルリバーと呼ぶ祖母と二人で暮らしている。祖母は民謡酒場で歌う歌手で、ママは福岡で美容師をしている祖母からは民謡歌手になるように勧められているが、珊瑚は自信がない。新たな転校生泉月(ルナ)は、美形で珊瑚は見ているだけでドキドキしてしまうが、東京のお嬢様学校からの転校とのことで、男子が苦手らしい。校舎の上を米軍の戦闘機が通るのはいつものこと。同級生の金城亮は、音だけで飛行機の種類がわかる。沖縄戦の記憶、ジュリ(戦前の沖縄の遊女)への蔑視、辺野古の基地移転問題などさまざまな社会問題をからめながら珊瑚の一学期を描いている。社会問題への目配りもあり、感想文ネタは豊富な感じだが、この珊瑚の純朴さみたいなところに、個人的にはちょっと違和感がある。美容師の母親がいるのに、祖母と住んでいるのはなぜ? 子ども食堂を恥ずかしいと感じたりするのがなぜか、もう少し自分で追求すればいいのになど、なんだか珊瑚というリアルな子どもではなく、健気に生きる沖縄の女の子イメージのような気がしてしまった。実際の沖縄の小学校6年生が読んだら、珊瑚って自分みたい、と感じるのだろうか?