幼い頃からソンジュの夢は、父のように立派な軍人となり世界最高の国朝鮮とキムイルソン主席のために尽くすことだった。だがキムイルソン主席の死と同時に、何かが変わり始める。ソンジュが12歳になったころ、一家は平壌をでて休暇にいくのだと父に告げられた。何かがおかしい。平壌の整えられた街を出て列車に乗ると、悲惨なようすの人が群がっている。北部の鏡城郡に着くと、今までとは比べ物にならない粗末な家を割り当てられ、学校に行くとクラスの子たちは冷ややかな視線を投げてきた。とりわけヨンボムとチョルホからは「お坊ちゃん」とバカにされるが、彼らは親が教えてくれない”現実”を教えてくれた。配給制度は破綻し、仕事をしても給与も食べ物ももらえない。子どもたちは、森でつかまえたリスで飢えをしのいでいた。ささいな犯罪で「処刑」が行われ、学校から強制的に見に行かされる。同級生が学校から少なくなる理由を尋ねると、みんな食べ物をさがしに行っていると教えられた。ソンジュの家もまもなく食料がつき、父が中国で食べ物を調達すると出かけたが帰ってこなかった。母も叔母を訪ねて食べ物を工面すると言って出かけ、やはり帰ってこなかった。家は新しい住人の手に渡り、ソンジュは路上に放り出される。そして市場で泥棒をしていたヨンボムの手ほどきで、盗みに手を出した。浮浪児という意味のコッチェビと呼ばれるが、盗むしか食べる道がない。ソンジュはヨンボムに、仲間になって助け合おうと提案し、子どもたち7人が集まって生きていくことにした。よそからのコッチェビが増えてくる中で、ソンジュがリーダーとなり他の市場を求めて街を出ることになる。行った先のコッチェビ団との争いの中で仲間を失い、ついに捕まって「グソホ」という収容所に入れられた。そこでは看守が子どもたちに今まで通りの盗みをさせて食料を手に入れ、女の子たちを好き放題に餌食にしている地獄だった。幼い弱い子から死んでいく。ソンジュは計略をたててグソホを脱出するが、コッチェビとしてまた生きる中でヨンボムを失いすさんでいった。だが16歳のある日、偶然祖父がソンジュを見つけてくれた。祖父母はソンジュを探し続けていてくれたのだった。そして祖父の家でなんとか落ち着いたころ、父親からの迎えだという男がやってくる。不安の極地の中で、ソンジュは国境を越えて中国に行き、到着地も知らぬまま飛行機に乗せられた。中国の街に着いたと思ったソンジュは、そこで初めてそこが大韓民国だと知らされる。恐怖で逃げだすが、捕まえられた後、父の名前を思わず言ったことで、無事に再会を果たせた。当初韓国でなじめずに苦労したソンジィだが、助けてくれる人のおかげで勉強を続け、ついにアメリカに留学して、現在は脱北者を支援した活動にも携わっているという。そう、これは作者の自伝的な物語なのだ。過酷な事件の連続の中、仲間同士で助け合うことで必死で生き延びていく。国が国民を守らない国の恐ろしさは、一番弱い子どもたちに向かう。だがこれは本当に特殊な国の出来事だろうか? 私たちの無関心が、同じように弱い子どもを追い詰める事態を招いていないか、振り返りたい。