児童書評価のページ

新刊・古典とりまぜて児童書を評価します

1945,鉄原(チョロン)

 

1945,鉄原(チョロン) (YA! STAND UP)

1945,鉄原(チョロン) (YA! STAND UP)

 

 日本が敗戦した1945年から1947年の38度線のすぐ北のまち鉄原(チョロン)を舞台とした韓国のヤングアダルト児童文学。私は当時の朝鮮半島の状況についてほとんど知識がなかったが、国が別の体制で分断されるという中での10代後半の登場人物の思いに触れながら、この歴史的事件を知ることができてとても良かった。中心になるのは小作農の娘姜敬愛(カン・キョンエ)と両班(ヤンバン:貴族に相当する身分)で大地主の黄基秀(ファン・キス)と、同じく両班の誇りに生きる郭恩恵(カク・クネ)の3人。両親が地主のために殺されたも同然で孤児となった敬愛の姉は、一人は巡査に嫁いで親日に、もう一人は共産主義活動に身を投じている。敬愛自身は下働きの身から終戦後は書店をまかされるようになり、新しい平等の世に希望を感じながらも二人の立場の違う姉の間で揺れ動く。基秀は、子どものころから敬愛たち貧しい子どもたちとも仲が良く、戦時中は反日共産主義活動で逮捕され、親の金で釈放かくまわれる体験をしていた。戦後、父は若い愛人と財産を持って南に逃げ、母は自殺。理想の世界を実現できる機会がきたと理性で思いつつも自分の道を見失いそうになる。恩恵は身分や財産が奪われた現実が許せない思いを押し隠し、聡明な頭脳を使ってなんとか高齢の祖父と頼りない母と兄を引き連れて南へ向かう画策をする。だが、一度は信頼していた召使に裏切られて失敗。それでも、粘り強く自分のプライドをかけて脱北を成功させようと戦う。北朝鮮というと現在では独裁のイメージが強いが、誕生直後は今まで土地を持てなかった農民たちが土地を得、希望に満ちあふれていた。だが、この本でもわずか2年の間に徐々に不満がでてきたり寛容が失われていくようすや、ここで建設された朝鮮労働党鉄原郡党舎がその後の朝鮮戦争で廃墟になった写真が最後に載っているのが見られる。登場人物たちのこの後がどうなったのかを思うと、暗澹たる気分になる。そして南でも、日本人が去った後にそれまで親日で儲けていた金持ちがスライドして後釜になるようすを見ると、この後の歴史の混乱が無理もないと納得した。お隣の国を理解する一助として日本の中高生に読んでもらいたいと思う。

ナチスに挑戦した少年たち

 

ナチスに挑戦した少年たち (児童単行本)

ナチスに挑戦した少年たち (児童単行本)

 

 戦わずしてドイツの傘下に入った祖国デンマーク。そんな祖国に憤慨して自分たちでレジスタンス組織を作ろうと考えた中学生の少年たちグループがあった。そのチャーチル・クラブの一員のクヌーズに取材したノンフィクション。向こう見ずで英雄的で勇敢なことをしたいと願う少年たち、そういう態度ってヒトラーユーゲントと共通するんじゃないか? という疑問も感じながら読み始めたが、一番の違いは自分で決めたことかなと感じた。親にすら知らせずに仲間内で話し合い、お互い張り合ったり喧嘩をしたりしながら、大人がいないから武器を手に入れたのはいいけど使い方がわからないため実験するなどよく無事だったという無茶をしている。逮捕された後、少年たちの罪をなんとか軽くするために「子どものいたずら」で決着をつけようと苦心する弁護士や裁判官の苦労を無にしてクヌーズは「武器はおもちゃじゃない。イギリス軍がきた時に支援するつもりだった」と裁判で叫んで刑務所に入れられる、せっかく牢に差し入れしてもらったスケッチに「女性のヌードを描くな」と注意書きがあったからすぐさまヌードを描きまくって壁一面に貼り制裁受けるという生意気な態度! 子どもっぽいといえば子どもっぽいが、この反逆精神はヒトラーユーゲントとは真逆だろう。銃を撃ちまくることを夢想したり実際の襲撃計画を立てながら、撃ち方が良くわからなかったり敵兵とおしゃべりして、ただのおじさんなのに撃っていいのかと撃てなくなる素直さもあった。正直言って、彼らが人を殺さずに済んで良かったと思う。逮捕された後、大人たちの尋問に反抗したつもりで、結局いろいろ話してしまうというしょせん子どもの情けなさもあった。彼らが刑務所にいる間にデンマークではレジスタンスが国中に広まり、終戦後は英雄として評価もされる。だが、過酷な刑務所での暮らしが彼らのトラウマとなってクヌーズ自身も活動的な一生を送りつつも閉所恐怖症でエレベーターさえ乗れなくなったというのは残酷な真実だ。これは英雄たちの物語ではなく、向こう見ずで反抗的、妥協をこばんで駆け引きができない不器用な素直さを持った少年たちの物語といえるだろう。そういう意味では、現在でも、もののわかった大人を慌てさせるノンフィクションともいえるのではないだろうか。

赤い鳥の国へ

 

赤い鳥の国へ

赤い鳥の国へ

 

 みなしごになった小さな兄弟マティアスとアンナ。二人をひきとったお百姓のミーラさんの目的は、二人に牛の世話の仕事ををさせるためでした。ろくな食べ物ももらえずに来る日も来る日も働く二人の希望は、冬になったら学校に行けることでした。けれども、学校でも他の子どもたちにバカにされます。その学校帰りに、赤い鳥が二人を不思議な扉に導いてくれました。そこは真冬でも明るく、楽しく遊べてお母さんがおいしいものを食べさせてくれる不思議な場所でした。でも、牛の世話をするために帰らなければなりません。学校に行く最後の日、二人は赤い鳥の国に行き、家に帰る扉を閉ざします。マッチ売りの少女を連想させる最後は、大人の感覚では死でしか幸せに到達できなかった悲劇的な子どもたちの物語? だが、かわいそうな子どもたちの物語であると同時に、これは必死の抵抗の物語であるように感じました。ただ、子どもの目から見たら素直に不幸から幸せになって救われた物語であるかも、とも思いました。子どもたちは追い詰められても懸命に幸せを探しています。

赤毛のゾラ

 

赤毛のゾラ 上 (福音館文庫 物語)

赤毛のゾラ 上 (福音館文庫 物語)

 

 

赤毛のゾラ 下 (福音館文庫 物語)

赤毛のゾラ 下 (福音館文庫 物語)

 

 厚さといい物語運びといい「黒い兄弟リザ・テツナーと雰囲気がにているなぁと思ったら、著者はリザのパートナーでした。
母親を亡くしたブランコは食べるのに困り、落ちていた魚を拾うが、どろぼうをしたと間違えられる。そんなブランコを助けるのがゾラ。彼女の仲間は、ふとっちょのパヴレ、チビですばしこいニコラ、陰険なジュロだ。古城に住み着き、あちこちからしっけいしたもので野生的に暮らしている。ゾラたちが、中学生グループと対立するところから物語は展開していく。トラブルの中で追い詰められた子どもたちは、そうとはしらずに養殖魚放流という罪を犯してしまう。彼らに手を差し伸べているゴリアンじいも会社の買収を拒否して追い詰められていく! 子ども集団が魅力。

オーラのたび

 

オーラのたび (世界傑作絵本シリーズ―アメリカの絵本)

オーラのたび (世界傑作絵本シリーズ―アメリカの絵本)

 

 トロールやノーム、いろいろな妖精が住んでいるノルウェーに、人が住めるところはわずかです。そんな森の真ん中に元気な男の子オーラがいました。外にスキーで飛び出すと、野うさぎを追いかけ、結婚式の家に遊びに行き、結婚式の橇にスキーを引っ張ってもらい、さらに行商人のペールさんとであって北極のラップ人の家や、タラをとる港へと大旅行をして帰ります。途中で不思議な伝説をきいたり、一緒に冒険旅行をしている気持ちになります。オーロラや、澄んだ瞳のオーラの姿などの絵もとても魅力的。地味だがおすすめ。

まっくろけのまよなかネコよおはいり

 

まっくろけのまよなかネコよおはいり (大型絵本 (32))

まっくろけのまよなかネコよおはいり (大型絵本 (32))

 

 おばあちゃんと犬が平和に暮らしているところに一匹のネコがあらわれた。おばあちゃんはネコに魅せられるが、犬はおばあちゃんがネコを気にすることが不愉快でたまらない。おばあちゃんがネコのためにこっそりミルクを出し、そのミルクを犬がこっそりひっくり返すなど思わずクスリと笑ってしまうようなユーモラスな表現で二人の気持ちが良く表現されている。ありきたりの題材だが、真夜中にちらりと姿を見せる、真っ黒なネコの存在感がある。画面が暗いため遠目がやや見ずらいが、ちょっと学年が上の子へのよみきかせにも使える。

移民や難民ってだれのこと? 国際化時代に生きるためのQ&A1

 

移民や難民ってだれのこと? (国際化の時代に生きるためのQ&A 1)

移民や難民ってだれのこと? (国際化の時代に生きるためのQ&A 1)

 

 イギリスで出版された本の翻訳。なんとなく“怖い” “心配”というイメージのある移民、難民問題を実在の人物に語らせている。生まれた国を捨てなければいけない理由はそれぞれだが、戦争が起こる、貧しくて希望がない、差別されるなど自分が当事者だったらどうか? と思うときちんと受け入れをしなければいけないと思う。同時に、例えば当初好意的だったドイツが難民の受入れ反対に変わっていった経緯などをもう少し知りたかった。例えば、クラスに難民の転校生が一人来たなら優しくできるかもしれないけど、30人クラスで10人難民でこれからも来るかもと言われるとやはり不安を感じると思う。それは、予測がつかない事態と向き合わなければいけないから。自分とは違う人間との付き合い方、特にこちらの国の流儀に従えというだけではなく、向こうがどうしても譲れない問題をどう認めるかということは大きな問題だろう。ここから初めて、子どもたちと抽象的に出はなく、具体的に考えてみたい。