児童書評価のページ

新刊・古典とりまぜて児童書を評価します

バンビ 森に生きる

 

森の茂みで生まれた小さなノロジカの子バンビが、美しく厳しい自然の中で生きることを学び、1頭の雄鹿として成長していく物語。
新訳ということで、既刊と比べてみました。岩波少年文庫から出ている高橋健二訳(1952年)と上田真而子訳(2010年)との3冊で。全体の印象としては、酒寄進一訳の本書は描写が割と淡泊で直球的に感じました。

特に違いを感じたのは、バンビに生きること死ぬことすべてを教える年寄りの雄鹿との出会いの場面。母鹿を求めて鳴き叫ぶバンビに対して古老が言う。酒寄「ひとりはいやか?恥を知れ!」、高橋「おまえはひとりでいられないのか。はずかしいと思え。」、上田「ひとりでいることができぬのか?恥ずかしいぞ!」 この時バンビは古老の鹿に対して尊敬の念を抱き、その存在に近づきたいと思うのですが、酒寄氏の訳者あとがきを読むと、ノロジカは群れをつくらないとあり、古老の言葉に納得します。

サブタイトルにも訳者の考えが表れています。「森に生きる」(酒寄)「森の生活の物語」(高橋)「森の、ある一生の物語」(上田)。どの訳者もバンビが生きるオーストリアやドイツの”森”に身をおいた経験があった上で日本語にしている、ということは共通しています。 (は)

キプリング童話集ー動物と世界のはじまりの物語ー

 

ラクダにこぶがあるわけ、クジラが小魚しか食べられなくなったわけ、手紙のはじまりなど、想像性ゆたかな物語集。本書は戦後出版されたフィッシャーによる挿絵版(小宮由訳、2021年)です。

キプリング自身が挿絵をつけた原書(1902年)は、『ゾウの鼻が長いわけ キプリングのなぜなぜ話』(藤松玲子訳、岩波少年文庫、2014年)として出ており、読み比べてみました。
目で読むにはすっきりとした流れのよい小宮訳、原文の特徴という言葉のリズムやひびき、声に出したときのおもしろさを生かす工夫をしたのが藤松訳。挿絵は、フィッシャーがユーモラスで楽しい。キプリング自身の挿絵は、物語の1場面に細々と解説をつけており、これにリアルさを感じて興味を引かれる子がいそう。
どちらにしても、キプリングが我が子にしたように声に出して読んであげると、自分で読める子もより楽しめるのではないでしょうか。 (は)

オーケストラをつくろう

 

オーケストラを構成するさまざまな楽器について、各パートのオーディションのもようを順に追っていくストーリーで解説する。案内役は、ロンドン交響楽団の指揮者サイモン。”聴いてみよう”というガイドに沿って、付属CDで実際の楽曲での音色を確かめながら読みすすみ、最後はコンサートを楽しむという趣向。ラヴェルボレロ」とベートーヴェン交響曲第6番田園」の全曲を通して、多くの楽器が合わさって表現する世界を体感できて楽しい。 (は)

おいっちに おいっちに

 

ぼくはボビー。おじいちゃんの「ボブ」からもらった名前です。おじいちゃんは、よちよち歩きのぼくの手をとって、歩き方をおしえてくれました。「おいっちにおいっちに」。でもぼくが5歳になった年、おじいちゃんは病気になってぼくのことがわからなくなってしまいました。おじいちゃんのひざの上で、おいっちにの話を聞くのが大好きだったのに。おじいちゃんに何をしてあげればいいかな。

「ボビーだよ」、ぼくは話しかけてみました。一緒に遊んだことのあるつみきをやってみせました。高く高く・・・がらがらとつみきがくずれて、ぼくは大笑い。そしたら、おじいちゃんが少しわらったのです。おじいちゃんの病気はきっとなおる!今度はぼくの肩に、おじいちゃんが両手をのせて歩く練習です。「おいっちにおいっちに」ってね。

原書1981年刊行のものは青と茶の濃淡でしたが(邦訳『さあ歩こうよおじいちゃん』絵本の家)、2005年版のこちらはカラフルな挿絵。より表情がくっきり見えるようになった気がします。以前の方は風景も立ち上がってくる良さを感じます。たとえば2人が歩く夜空に浮かぶ三日月とか。 (は) 

地震はなぜ起きる?

 

冒頭、東日本大震災は「1000年に1度」の「大事件」だったとある。〇〇年に1度の、という聞き慣れてしまったこの文言が、読み進むうちに根拠ある意識に変わっていった。

著者は火山学、地球科学、科学教育が専門。地震の起こるしくみと、そこから引き起こされる人間にとっての災害を、順序よく積み上げて解説してくれます。とても納得したのは、科学的データに基づいた「地震予知」と根拠ない「予言」のちがい。「何年何月何日」に大地震発生、というピンポイントな予言はもちろん嘘だとわかる。でも、年月日までは予想できなくても、過去と最近の地震活動の観測データからはじき出された「2030年代に南海地震が起こる」しかも「超巨大」クラスという予測は、かぎりなくピンポイントであること。「非常に貴重な『虎の子』の情報」をぜひ活用してほしい、という著者の訴えを、いつ起こるかわからないしと聞き流してはいけない。いつ起こってもいいように備えること。備えあれば「被害の8割は減らすことができる」そうなので! (は) 

きみのいた森で

 

 おじいちゃんが亡くなった直後に、スチューイは、近くに引っ越してきた同い年のエリーと出会う。誕生日が同じだとわかり、独特の世界の見方をするエリーに惹かれ、二人は仲良くなる。だが、エリーの親はスチューイと遊ぶのを禁じた。なんと二人のひいおじいちゃん同士が激しく対立し、同時に森の中で同時に行方不明になったという過去があったのだ。二人は、森の中の倒木でできたテントのような場所で遊ぶ。そこには平たい石があって、時々不思議な声が聞こえるきがするのだが、ある日、スチューイの目の前でエリーは突然消えてしまう。消えたというスチューイの言い分は誰にも相手にされず、誘拐事件として大騒ぎが起きる。ところがあの場所でスチューイはエリーと再会する。エリーは消えたのはスチューイの方で、スチューイの母親は半狂乱になっているという。なんとか互いを捕まえようとする試みはうまくいかない。そして世界が二つに割れてしまったことには何か理由があるのではないかとスチューイは考える。曽祖父時代の対立と、祖父の秘密。森の中を歩く怪しげなキノコ男。いったいこれは? と先が見えない展開が魅力。2019年エドガー・アラン・ポー賞を受賞というのも納得という作品だが、著者本人はミステリーだとは思っていないとか、きちんとした論理のあるファンタジー? SF? 単純に言えないところがまたおもしろい作品。

人力で動く乗り物

 

 乗り物の歴史と、その中で動力(エンジン)が発明されてからもなお続けられる人力チャレンジが紹介されている。動かすための構造、人力で生み出した力をどうやって効果的に乗り物に伝えるか、摩擦や空気抵抗の軽減。今は機械が発達しているけれど、人力でより速く遠くまで動かすチャレンジは、省エネに直結です。ブラックボックスのような機械に頼っていないで、構造を理解するのは大切。テレビの番組でも鳥人間コンテストなどがありますが、自分でチャレンジするって大切です。これを読んで、チャレンジを志す子どもたちが増えたらすてきですね。