児童書評価のページ

新刊・古典とりまぜて児童書を評価します

家出 12歳の夏

 

家出―12歳の夏 (文研じゅべにーる)

家出―12歳の夏 (文研じゅべにーる)

 

 字が大きく読みやすいが、内容の重さは中学生位におすすめしてみたい。主人公のステイシーは12歳の女の子だが、いわゆる女の子らしい格好が苦手。母親は家を出ていってしまい父親と仲良く暮らしていて満足していた。だが、父親はバーバラと再婚し、バーバラのお腹には赤ちゃんがいる。目障りでたまらないバーバラ、そして赤ちゃんが生まれたら私がいる場所なんてない。衝動的に家を出たステイシーは、やみくもに家を飛び出して歩き出した。だが、オクラハマのあれた地では水さえ手に入れるのが容易ではない。空腹と乾きで疲れ切って眠ったステイシーは、偶然出会った二匹の犬に導かれるように砂漠のような荒れ地で一人住んでいるエラばあさんの家にたどり着く。不愛想で何も聞かないエラばあさんに、ステイシーは自分から家出をしたと打ち明けるが、エラばあさんは特に関心を持ってくれない。食べさせてくれるが、出ていくといっても引き留めてくれない。ただ、淡々と自分がしなければならないことをしている。切れ切れの会話の中で、ステイシーは、かつてエラは夫とここに入植したこと、だが、働いても働いても報われないこの地を捨てて、家をでてしまったこと。3人の子どもを産んだが、一人も育たなかったことを知っていく。そしてエラの不在の時に、偶然犬の出産を助けることになるが、ステイシーの助けで生まれた子犬は先天的な口蓋破裂の障がいがあり、ミルクが吸えないために飢え死にする運命にあった。けがのために動けなくなっていたエラを助けて相談すると、エラは苦しまないように殺してやることが一番だという。自分で助け、名前もつけてやった犬を殺せという指示に怒り狂うステイシー。決して望み通りにはいかない運命。だが、その中で生き続けることは敗北ではないことを自分の生き方で示すエラの存在がなんとも魅力的。そして、ありのままを見る覚悟を決めていくステイシーの姿は迫力。自分の人生を生きる、ということを考えさせられる。

「植物の宝島」への旅

 

 この本が発行当初は先駆的だったけれども、今あえてこれを読まなくてもよいかな、というのが正直な読後感想だった。屋久島の縄文杉について書かれているが、現在は島の山の上と下で植物相が違う特殊性や縄文杉、その保護についての類書が出ていたり、関連するドキュメントもある。屋久島で杉が伐採されたり保護されたりが行きつ戻りつした感じの歴史についても、なぜそうなったかがほとんど書いてなかったり、著者は2回屋久島に行っているのだが、その2回の比較が最後にもふいに繰り返されてちょっと混乱して前を見直してしまった。題材はユニークだが、この本の後に、特に自然保護についてはいろいろ変化もあったので役割を終えた本かもしれない。

「空気」を読んでも従わない 生き苦しさからラクになる (岩波ジュニア新書)

 

どうしてこんなに、人の頼みを断るのが苦しいのか? どうしてこんなに周りの目が気になるのか? などふだん漠然と感じている息苦しさの理由を見直すことで楽になろう! と中・高校生によびかけている本。解きほぐすように「世間」は自分が知っている人、「社会」は知らない人。日本人は伝統的に「世間」を大事にする生き方をしてきた。それが今も残っている、だが現在はそれが変わってきているし、世界の中では特殊であることをまずはっきりさせている。そして「世間」には5つのルールがあること。(年上がえらい/「同じ時間を生きる」ことが大切/贈り物が大切/仲間外れをつくる/ミステリアス〈理由を示さず決まっているんだから決まっているという!?〉)といこうとを踏まえて戦い方を教えてくれる。例えば、先輩からいじめられたら、さらにその先輩に相談してみることなど。さらに、同調圧力(話の流れで、みんながなんとなくラーメンを食べたいという方向にいっていると違う意見を言いにくいなど)との戦い方で、あえて「ちょっと待って、絶対ラーメンって何人?」と切り込むと「絶対ってほどでも・・・」と一度ゆるむなど、実践的。常に戦うのではなく、一部は合わせても「これは戦略で合わせている、自分はほかでは好きなことをしよう」と逃げ場を考えるなど、玉砕を避けてそこそこやれそうな感じがとてもいい。今、目の前にあるものに振り回されて混乱しないように、一歩下がって敵を観察してうまく戦う! 中高生はぜひやってみてください。 

11番目の取引(2020課題図書 中学生の部)

 

アフガニスタンを逃れ、いろいろな国を転々とした末にアメリカで難民として受入れてもらえたサミとじじ(サミの祖父)。二人の故郷の形見といえばアフガニスタンの民族楽器ルバーブで、じじはルバーブの名手だ。地下鉄構内で演奏して得られるお金は、二人の支えとなっている。なのに、じじがトイレに行き、サミがルバーブを持っていたときに、ひったくられてしまった。すっかり気力をうしなったじじ。サミはなんとかしたいが、どうすればいいかわからない。そんな時、学校で出会ったダンがサミのサッカーの技量に気付いて近づいてきた。ネット検索で、盗まれたルバーブが売られている店を見つけてくれるが、店では700ドルを要求してきた。なんとかしてお金を手に入れて取り返したい。ほとんど手持ちの物などないし、中学生ではアルバイトも無理だ。だが、同級生ピーターがサミのキーホルダーと自分のiPodと交換しようといったことがきっかけで事態が動きだす。iPodは壊れていたが、機械が得意のダンが修理してくれ、それを欲しがった子が自宅で不要なアンティークドールと取り替えてくれた。少ない手持ちの品を交換する中で、少しづつ資金を積み上げていく。そして、その過程でそれまでにサミがどんな運命をたどってきたかが、少しづつ明かされていく。わらしべ長者のように取引を積み重ねていくようすはスリリング。同時に、孤立していたサミは友人を増やしていくことになる。そしてたった一人の家族のじじに、自分のしようとしていることを打ち明けられない緊張感など、どんどん物語にひきこまれていく。アフガニスタン内戦の悲劇や、アメリカでの差別、まわりとの絆などキーワードはあるけれど、それを越えて、辛い過去を抱えながらも、新しく生きようとする誇り高く懸命な男の子サミが生き生きと描かれているのが魅力の物語。 

フラミンゴボーイ(2020課題図書 高校生の部)

 

フラミンゴボーイ

フラミンゴボーイ

 

 ヴィンセントは、子どものころから部屋にかかっている絵が大好きだった。自分と同じ名前の画家が描いたヨットの絵、卒業試験を何とか終わらせた18歳の時、その絵が描かれたフランスの海辺に旅に出る。だが暑さや蚊に悩まされ、誰もいない海辺の道で倒れてしまった。その彼を助けてくれたのは、その地のフラミンゴと心を通わせることができるロレンゾという不思議な男性とケジアという穏やかな女性だった。50歳位かと見える二人は、ヴィンセントを看病してくれ、彼は、かつてロマとしてメリーゴーランドの興行をしながら放浪していたロマとしての暮らしを営んでいたケジアとケジアの両親が、普通の人間にはなじめないけれども、動物と心を通わせる才能を持ったロレンゾとその両親が、ドイツ占領下のフランスで助け合った子ども時代の物語、そして彼らをなんとか守ろうとしてくれたドイツ人伍長との交流の物語を聞かせてもらう。モーパーゴらしく巧みな語りだが、これもモーパーゴらしくなんとなくおとぎばなしめいて展開している。他の人に理解されないロレンゾの描写のリアルな雰囲気が魅力ではあるが、フランス民兵団というナチに協力した組織の戦後のことなど正直気になる。もう少し、書きこんで欲しい思いが残る。

キャパとゲルダ ふたりの戦場カメラマン(2020課題図書 高校生の部)

 

 伝説の戦場カメラマンともいえるキャパと彼の恋人であったが、それ以上に「コパン」であったゲルダ。キャパをプロデュースして巧みに売り込んだゲルダは、自立して自分の立ち位置を求めた活動的な女性だった。理想を求めて立ち上がったスペイン内戦に飛び込み、労働者たちが政権を取り、女性もズボンをはいて駆け回る開放的なバルセルナに入った二人は興奮する。二人の青春と、理想が爆発したようなスペイン革命が重なるが、フランコ将軍との攻防戦、徐々に内部分裂がおこる革命軍、スペインを援助するようにふるまいながらひそかに利用しようとするスターリンソ連という現場で二人は(そして理想に惹かれて集まった世界中の人々も)悩みを深めていく。実はスペイン内戦についての予備知識はあまりなかったのだが、この悲劇の歴史についても良く分かった。この複雑で残酷な戦場で、二人は独自の写真スタイルを作っていく。最前線に飛び出していく二人。そして、兵士や市民たちの中に共にいて、その日常を切り取る技。だが、単独取材の最終日、ゲルダは戦死する。27歳の誕生日直前だった。あまりに若いと思うが、キャパも40歳そこそこでヴェトナムで戦死している。著者の二人も夫婦で、キャパとゲルダはパートナーとの理想のあり方のお手本でもあったのだろう。スペイン内戦やキャパとゲルダを美化することなく描こうとする姿勢はとても誠実。かなりしっかりした本なので、本を読み慣れていない高校生には難物かもしれないが、くいついていけば全く別な世界が開ける思いがするだろう。

平和のバトン(2020課題図書 中学生の部)

 

平和のバトン: 広島の高校生たちが描いた8月6日の記憶
 

広島市立基町高校創造表現コースの生徒が、被爆体験証言者から直接聞き取りをしてその体験を油絵にする『次世代と描く原爆の絵』プロジェクトについて、実際にかかわった高校生や被爆者から取材して書かれた本。ちょっと体験談の羅列的で、読みやすいのかもしれないが、やや単調な印象を受けた。だが、少しづつ読み進めていくうちに、体験者ではない世代が、体験者と関わり、自分の描きたいように描くのではなく、他者の記憶を再現しようとすることで戦争体験を考える意味が少しづつ理解できるようになっていく。それを素直に書けば感想文になりそうで、書きやすい本と言えるかもしれない。だが、同時にいかにも紋切り型に書いてあるようにも感じられてしまった。原爆は許してはいけない、戦争は恐ろしい、もちろんそうなのだが、ならばなぜ当時は戦争をしてしまったのだろう? この恐ろしい爆弾を落としたアメリカに対して謝罪を求めないのは、当時の日本の戦争のあり方とどうかかわっているのだろう? 戦争は天災ではなく、人災だからこそ止めることができるはずだが、それはどうすれば止められるのだ?(例えば、あんなに反対していても、沖縄には新しい基地が粛々と作られている)。表面的に「戦争はいけない、原爆を使ってはいけない」と軽く書けてしまうだけに、もう一歩踏み込んで考えるヒントが欲しい本であると感じた。